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悪は存在しないのAZのレビュー・感想・評価

悪は存在しない(2023年製作の映画)
3.5
悪は存在しないとはどういう意味だろうか。自然や地球という大きな括りで考えた時、善や悪というカテゴライズなど存在しないということか。ただ、それだとあまりにも単純すぎる気がする。

芸能事務所が悪として描かれてはいるが、皆自分のために生きているこの世界で、誰が良い悪いなど誰が判断できるのだろうか。

視点を変えてみると、村人側も悪に見えてくる。ただ、自分たちは悪だと思っていない。つまり、意識の問題。悪を認識しない限り悪は存在しえない。

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一貫して描かれる対話というテーマが、今作ではその土地の人々と部外者というわかりやすい構図で描かれていた。そのわかりやすさが、個人的に物足りなさを感じたのと、対話を丁寧に描けば描くほど何か嘘っぽく感じてしまった。特に説明会のシーンは重要ではあるのだが、なんだかいつも以上に説明的に感じてしまった。

この作品を理解する上で、自分とそれ以外、つまり他者という考え方が理解の手助けになるかもしれない。主人公の男性は、自分も部外者であると語っている。つまり、内と外という考え方は、個人の中でしか存在しておらず、その地域やコミュニティにおいても内という考え方などないのではないかと。結局は、その個人間には他者という距離や壁が存在しているから。

その考え方で言うと、誰もが誰かを意図せず攻撃し得る存在であると言える。所詮は自分以外自分ではないから、完全に他者を理解することなど不可能。そう考えると、誰が善で誰が悪だという考え方自体意味がないものなのではないだろうか。

自然と共存していると思っているその地域の人々は、その土地に生きる鹿にとっては悪である。身勝手に殺されてしまうのだから。善人そうに見えた男性は、豹変し芸能事務所からやってきた男を殺そうとする(この辺りただ彼の事を止めるためのようにも見えるが、意図的に死を感じさせる演出をしていると感じた)。この映画に登場する人間の中でよっぽど悪である。ただ、その人にとっては善である。人や生き物、立場によって善も悪も変化してしまう。つまり共存している複雑な概念である。

矛盾が描かれている。善に見える村人たちだが、実は都合良くも見える。鹿の保全・安全を考えている割には定期的に鹿を狩っている。自然と共存し関係は良好に見えて、突然敵意を向けられる。世界はそういうもの。巧の最後の行動はつまり、突然向けられる自然からの敵意や脅威を表現したものではないだろうか(この辺り、東日本大震災のドキュメンタリーを撮影した経験からきているかも)。

互いに対話を続けることが重要であることは、今まで散々描かれてきたが、今作においてはなんだかいまいちな感じがした。

それは、説明会において対立がわかりやすく描かれていたのと、そこで行われる対話に説教くささを感じてしまったから。対話って大事だよねということが、あからさまに描かれすぎていたように思う。これはそもそもの設定が良くない。

他作品とは違い、自然との関係について描かれていたのは新鮮で良かった。

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今までの作品は、分かり合えるという誤解によって、逆にその関係修復を難しくさせるという複雑性が描かれており、見応えがあった。

対話の複雑性というものは今作ではあまり表現できていなかったと思う。描かれていたとしても弱いと感じてしまった。偶然できてしまった作品らしいので、その辺りの描写にあまり力を入れてなかったのだとは思うが...。

[メモ]
・綺麗な水によって作られるうどん。
美味しいものを食べたいという人間の欲求。
・鹿が殺される理由は語られない。
鹿からの被害の報告もない。
ではなぜ殺しているのだろうか。
・環境への配慮について語られていたが、
タバコを吸っている姿がどうしても気になった。
あえてやっている気がする。
無意識の悪。矛盾について。
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