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僕はキャプテンのKSatのレビュー・感想・評価

僕はキャプテン(2023年製作の映画)
4.3
イタリア映画祭にて。

まあ、確かにイタリア映画だしイタリア人の観客もたくさん来てたんだけど、いざ蓋を開ければほぼ全てのセリフがウォロフ語かフランス語で、しかも字幕は日本語。唯一のイタリア語のセリフが「cazzo」だった。これではせっかくのイタリア映画祭なのに、イタリア人の観客が一番楽しめないではないか!

兎にも角にも、画期的な映画だと思う。ハネケやオストルンド、ダルデンヌ兄弟、カウリスマキ、オーディヤール、、、ここ10年くらいのヨーロッパ映画で、ヨーロッパにおける移民の姿を白人の側から見つめた監督はたくさんいたが、一から十まで移民の視点に立って、しかもヨーロッパが画面に一切出てこない映画というのは、なかなかレアだと思う。

しかもそれを、イタリアの監督であるマッテオ・ガローネが撮るという。この映画が撮られた2022年にイタリアの首相になったジョルジア・メローニは反移民政策を打ち立てているし、そういう状況でここまで徹底的に移民問題を追求した映画を撮ったのは、素直に偉いと思う。

しかも、あえて難民が発生してる紛争地域ではなく、比較的政情はマシなセネガルのダカールの少年が主人公というところも面白い。要するに彼は、安全への逃避ではなく、純粋なヨーロッパへのあこがれから旅に出ているだけなのだ。

面白いのは、この映画全体のプロットが、ガローネの前作「ほんとうのピノッキオ」と対になっていること。

「ピノッキオ」では、主人公のピノッキオがゼペット爺さんの元から旅立ち、様々な存在と出会い、悪徳を覚えながらも最後は真面目に生きることの大切さを学んで故郷に帰っていく。

この映画の主人公セイドゥも、家族を置いて従兄弟とダカールを旅立ち、マリやニジェールを経て、様々な者との出会いや別れを経験しながら、リビアまで行き着いてしまう。合間には「ピノッキオ」における妖精やコオロギ、あるいはキツネに対応する存在も現れるが、そこから先の展開は「ピノッキオ」とは全く異なるものとなっている。

さて、ガローネの映画らしくこの映画にも、マジックリアリズム的な夢の場面が現れる。具体的にいうとそれは二度あり、どちらも飛翔がテーマといえる。しかし、それよりもずっと後に、夢ではない場面で飛翔が扱われるのだ。この映画が言わんとすることは、まさにそんな飛翔にあるといえるだろう。
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