【弱者と向き合うことの出来る社会とは】
もしかしたら「マリウポリの20日間」と併せて観る人が多いのかもしれないなんて思う。
ヴェネチア国際映画祭で審査員特別賞を受賞した作品だ。
重苦しさがずっと漂うが、どこかに希望の糸口はあるような気にもさせるように感じた。
5月1日、バイデン大統領が日本は排外的だと話していたが、移民難民問題は場合によっては、分断や外国勢力のテロの要因にもなるとてもやっかいな問題でもある。
ベラルーシのルカシェンコは移民や難民問題で揺れるEU(欧州連合)に対して、一旦受け入れた難民をEU加盟国である隣国のポーランドに送りつけるという暴挙に出たのだ。
まったくふざけていて許し難いが、ルカシェンコは”最後の独裁者”とも称され、EUからは馬鹿にされ忌み嫌われた人物でもあるので、子供じみた行為ももう恥ずかしくもなんともないのだろう。
この「人間の境界(オリジナルタイトルは「グリーン・ボーダー」)」は、難民、国境警備隊、活動家とそれぞれの視点で描かれているが……、
(以下ネタバレ)
個人的に重要なのは、妊娠中の妻を持つ国境警備隊の若者が、トラックの荷台に隠れていた難民を意図的に見逃したところだと思う。
その夜、彼はぐっすり眠ることが出来たのだ。
そもそも人を命の危険に晒して平気でいられるのは人間として異常だ。
人とは本来こうしたものだと示唆しているように感じたのは僕だけじゃないと思う。
エマニュエル・トッドのような輩は、西欧型の自由民主主義は世界では不人気だなんてしたり顔で言うが、こんなものは分析でも何でもなくて、実は知ったかぶりで何も解決策を提示しないところが問題なのだ。
もう国境を封鎖して、分断した国際社会のこっち側とあっち側でやっていこうよみたいな単純に考える人もいるとは思うが、今の僕たちの社会は様々な資源や食べ物、技術について依存し合う関係になっていて、事態はそんなに簡単ではない。
それに、もし国際社会で分断を推し進めたら、ルカシェンコにしろ、プーチンにしろどんな暴挙な出るか分からない。
過去には、数百万人を粛清したスターリンや、ルーマニアのチャウセスクがそうであったようにだ。
それらと対峙して来たのが西欧型の自由民主主義なのだ。
こうした延長線上に、イスラエルよるガザ地区住民の命を蔑ろにする軍事攻撃に強く反対するデモがアメリカのあちこちの大学で起きているのだ。
アイデンティティなんて言うと、民族主義をベースに話す輩は結構いるが、自由民主主義も実は重要な僕たちのアイデンティティじゃないのか。
この映画に登場する活動家や医者、難民を見逃した国境警備隊の若者を通じて、この映画は弱者を決して切り捨てないという自由民主主義のアイデンティティを示したかったんじゃないのか。
最後、ウクライナからの難民に優しく接する国境警備隊の若者に、活動家から嫌味な言葉が投げかけられる場面がある。
それをやり過ごす若者。
それで良いのだと僕は思った。
人助けを過剰に誇らず、出来るところから始めて手を差し伸べられる世界であれば良いと願うばかりだ。
もし、興味がある人がいれば、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所協会)ではある程度少額から出来る月々の募金を行っているので、アクセスしてみて下さい。