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人間の境界(2023年製作の映画)
4.2
 幼い子どもを連れたシリア人家族が、「ベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば、安全にヨーロッパに入ることができる」といういったい誰が流したのか知らぬ根も葉もない情報を信じて祖国を脱出する。しかし、亡命を求め国境の森までたどり着くと、武装した国境警備隊が待ち受けていた。それは趣味の悪い罠というか完璧に騙され、彼らの希望は踏みにじられる。ここに描かれるグローバル資本主義の理不尽さに怒りがふつふつと湧いて来る。前述のベラルーシを経由してポーランド国境を渡れば云々がそもそもベラルーシが喧伝するデマであり、彼らの目的はEUに混乱を来すという心底下劣な思惑がある。しかし一旦祖国を追われた人々はもはや退路を断たれた凧でしかない。風に揺られるがまま、右に左へと必死に逃げて国境地帯を探すのだが、そこにはベラルーシ警備隊の包囲網が待ち構える。映画そのものがそのジリジリとした牛歩そのもので、逃げては連れ戻され、また逃げては連れ戻されをずっと繰り返す。その度に一纏まりだった家族はバラバラに寸断されて行く。序盤の鉄条網にやられ、ダウンジャケットから飛び出した羽毛が残酷な運命を投影する。

 世界地図を見ればトルコやシリアやイラクなどの中東と東欧とは一見、黒海を隔てる様に見えるのだが、まずはベラルーシのビザが容易に手に入ることで多くの難民がベラルーシに結集したこと。これが一つの要因であり、2つ目の要因はベラルーシのルカシェンコ大統領がロシアのウクライナ侵攻を境にして、自国民以外の移民たちを隣国であるポーランドへと越境を促すような政治的スタンスを示したことに尽きる。これによって移民たちは我先にとポーランドとの国境を目指したことは想像に難くない。然しながらポーランド政府の対応も迅速で、2021年9月にはベラルーシとの国境付近に非常事態宣言を発令。多くの移民・難民の受け入れを拒否し、ベラルーシの政治的思惑に秘かに加担していたのである。これはユダヤ人の先祖の多くをアウシュビツで亡くした子孫たちの行動とは俄かには信じられない。実際に今作ではホロコーストの被害者であるユダヤ人夫婦の妻の方が夫を詰る場面が見られるが、結局は人間ではなく肌の色の違いで対応を決めてしまう。数年前の世界線が示すグローバル資本主義の矛盾をベラルーシ側とポーランド側との対比だけではなく、人道主義者と警備隊との思惑の違いを搦めながら冷静な筆致で描いている。監督のアグニエシュカ・ホランドはアンジェイ・ワイダの愛弟子で、一時は『太陽と月に背いて』のような商業映画の監督として持て囃されたのだが、彼女のユダヤ人映画監督としての矜持が溢れたヒリヒリする様な傑作である。
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