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DOGMAN ドッグマンのKのネタバレレビュー・内容・結末

DOGMAN ドッグマン(2023年製作の映画)
3.6

このレビューはネタバレを含みます

12/3/2024 tue シネマイクスピアリ スクリーン2 F9 13:20〜
フルスクリーンシネスコ。上手寄りどセンター。


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IN THE NAME OF GOD

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ピアフ映画兼、大勢犬映画がまた生まれてしまった!良……。

ホームアローンwith犬、もしくは瀕死の『暗くなるまで待って』だ。ブリンブリンのピンクのドレスで闘うのきもちえ〜〜

/「犬は愛に関してウソがない」という台詞について、前日に『聖なるズー』を読み終えていたので、本当に実感を持って頷いていた。対等に愛すれば愛を返してくれる生き物こと犬……愛。人間の愛にはフィルターがかかるけど、犬のそれは直接的なのだという事実を映像で確認できてなんだか嬉しかった。
上映時間の実に7割は犬が出てて、ベッソン結構頑張るやん!て思ったけど、もっと出来るよ!犬のフィーチャー!とも思う。マジでもっとできることあると思う。『落下の解剖学』でも犬の演技の素晴らしさを実感したことだしな。

/前日のオスカー授賞式への怒りと後列からの蹴り・大音量ビニール野郎への怒りとでほぼほぼ集中が削がれたため、正直評価もガバガバです、許して
(最近のデューン先行公開だっけな?グラシネでのマナー悪客事件でも思うけど、客に客の注意さすなよ。全員同じだけの金と時間払って来てんねやから。"怒るのは分かるけど大声で注意しないでほしい"とか声かけする側をトンポリする奴もいるけど知らねえよ、こちとらその分楽しみを削がれてんだよ、共同の場でそもそもの良識すら守れん奴が100悪いんやぞ。)

/人間は皆自分自身のヴィジランテだよなあ。保守的に自分を愛する。

/全編通してめちゃくちゃ宗教の話してたな。"彼女は「芝居は宗教と似ている」と言っていた"とも主人公に語らせていたし。『ボーは…』もそうだったけど、着いていけてない部分の多さを想って悔しなる〜

/デカダンでマジカルリアリティに溢れた、テンションと質量の高い一本だったなあ。脚本に大きな波はなく、極めて平易な内容ではあったものの(自分が捉えられていない部分はあるとしても)、その映画でしかできない表現の大きさを受け取って満足。
陶酔するかのようにピアフのパフォーマンスをするシーケンスはギンギンにマジカルリアリティに満ちていた。

/ミニシアターでかかりそうな内容だったけど、こうしてシネコンでベッソンを観られるのは最高だ。『ボーはおそれている』もね。

/アイデンティティを親や環境によって削がれた人間が、自らと異なる存在へと装い、自分自身を確立していく、という一貫した脚本に大きく頷いていた。役者としてめちゃくちゃ分かるな。暴力的な父によって犬と生活を営むようになること、キャバレーで女性として演技すること、憧れていた女性へ決して手が届くことはないと知って嘆き喚き、自分以外へなり変わっていくこと。ダグラスが孤児院で出会った、シェイクスピアを愛する年上の演劇指導の女性が"鏡の中の自分が虚像とは限らない、映っている姿が本物で、自分こそコピーかも"と述べることはすべて真実だ。何も持たない人間は演技をすることでこそ自分でいられる。

/ケイレブランドリージョーンズ、歳を重ねてなお魅力的になるな。スクリーンで観るのは『スリー・ビルボーズ』以来かも知らん。(追記:『ニトラム』以来だった。)
シックボーイと評されていた頃とはまた質の違うシック気質を……。いいねえ。あとダイアモンズアーガールズベストフレンドの、でけえリボンの衣裳が本当に可愛らしいし似合い過ぎている。歌ってたのはププッピドゥの方だったけど。子役がケイレブのダラっとした喋り方に寄せていたのも良かったなあ。
↑I wanna be loved by you、神からの愛ってこと?主人公が父親を警戒し軽く距離を取るのに対し、兄は父親を恐れながらも決して逆らうことなく、ダグラスの計画で家に警官が乗り込んだ時には父親の肩に身を寄せて泣いていた。兄もまた暴力の従順な被害者なのである。fatherであり"神は男の姿をしている"ってことなのかもなあ。ダグは女の姿をしている。自ら神(father/父親)になろうとはせず、神(God=Dog)を愛した。実の父親への愛は実らず、神を渇望し続ける。
自分と同じように今まで報われてこなかった存在への救いになろう。犬を遣わす。救いの神を遣わす。天使たるダグが歌ったピアフこそ福音なのかも。

/ベッソンって植物のこと好きなんだなあ。花束を抱えて舞台を観に行ったダグラスが、車椅子を使っているからスタオベの中で"投げ入れたかったけど無理だった"って楽屋で言う台詞があるけど、投げ入れないことで花への愛を担保している……。楽屋に飾られた花々も綺麗に撮られていたし、おとり捜査の警官が贈った一輪の薔薇は、ダグラスのあばら屋で決して傷つけられることなく横たえられていた。ベッソンって多分、死の匂いは隣の部屋からさせつつも、だからこそ成り立つ圧倒的な生命の息吹きのことを愛してるんじゃないか。
(対して自分は植物すら平気で枯らすプロのセルフネグレクターだし、多分五年後くらいに何らかの罪でマジで逮捕されてると思うから皆あとはよろしく頼むね。)

/しかしダグラスの対話相手である精神科医の家庭事情の描写はどう捉えたらいいんだろう?離婚した夫との間にまだ幼い子がいてというのは……て思ったけど、普通に、幼少期に犬小屋へ閉じ込められた自分を愛しつつも妊娠した子供の未来を守るために出ていった母親のその後ってことか。終幕は"迷える人間の元に神は犬を遣わす"という冒頭の引用なんだ。(この一節はマジで存在するやつなの?) 犬、愛そのものであり、愛の使い。
↑え、完全に個人的な話なんですけど、チバユウスケのことを犬だと思っているんですが、その論が成り立つってことはつまりチバユウスケequal愛ってコト……??そういうことか……。

/"ダグラス"という名前すら"Doug/ダァグ"なんだよ……分かりやすいディテール、可愛すぎ。

/どうやらトランスジェンダーの主人公らしい、という噂を元々耳にしていて、トランスパーソンへの偏見を助長するような作品だったらどうしよう、ベッソンにすら否定されたら……と懸念していたのだが、全く突っかかりなく観られたので安心した。主人公のジェンダーエクスプレッションやセクシュアリティについては深掘りすることがなくて逆に好感を持った。バックラッシュが起こる心配も無いくらいおとぎ話だったし。(似たような実際の事件があるなら別ですが。)
強いてカテゴライズするならば、どちらかと言えばドラァグクイーンの話ではあったかな。いえ、性自認と性表現と性的指向はシームレスで、カテゴライズする必要なんてマジでないんですけどね。
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