カラン

利休のカランのレビュー・感想・評価

利休(1989年製作の映画)
4.5
千利休は茶道の達人で、かつ、執政の任にもあたった模様。本作を観ると、少ししか出てこないが織田信長と豊臣秀吉という戦国の武将たちにおいて、茶湯の扱いが独特なものであったのがよく分かる。政治的な場面で活用されただけでなく、西洋でいうところのspiritual(霊的)なものとなっていたようだ。なぜなのかは描かないが、特別な力を持っていた。本作では戦争が描かれることはないが、幽玄なる世界を映し続けて、独特の緊張が全編に漲っている。

監督の勅使河原宏は、撮影当時、既に草月流の3代目家元として映画よりも、華道家の活動が多かったであろう。本作でも花の見せ場は多い。庭の朝顔を全て刈り取って、茶室の狭い入り口から顔を出した秀吉の眼前に、清楚に咲いた一輪の白い花。たらいのような花器に湛えた黒々とした水に花を散らして、枝垂れさせた大ぶりの梅の枝。草月流家元の面目躍如だろう。

こうした花器や茶器は美術館等から取り寄せて借用した本物で、あまりの緊張で、手にとった三国連太郎の手が震えて撮り直しになったという、国宝級の代物であったという。襖絵や屏風絵も素晴らしい。長谷川等伯役で元永定正が筆を使う場面も映されている。また、ラストシーンでは利休が妖怪の竹林に消えていくが、枝を折った竹の不気味さ。その際に利休は背を向けて幽界に消えるのだが、切り返しで、童子と遊ぶ秀吉の顔は白粉でゴースト化している。



山崎努の秀吉が面白かった。

ゆっくりと巨大な美術館の静かな常設展を見て回ったような満足を覚えたが、唯一、照明が今一つであったのではないか。市川崑の『おとうと』(1960)のように暗がりのなかの絞った照明ではない。小栗康平の『死の棘』(1990)のように窓を開け放した空と、凧揚げの空とで、窓を開け放ったセットの空が、結局は、本物に勝ることになるというような照明でもない。明るいのだが、明るいだけの気がした。


年末、年始にいいかも。レンタルDVD。55円宅配GEO、20分の13。
カラン

カラン