アクセルガツキー

52ヘルツのクジラたちのアクセルガツキーのネタバレレビュー・内容・結末

52ヘルツのクジラたち(2024年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

好きな方が読むといけないので…原作小説を(以下、批判します)、上梓された直後に読んだのだけど、正直、吐くような嫌悪感を覚えたことをよく覚えている。

何故かというと、性的マイノリティをはっきりとギミックとして使い、ネタとしてしか思っていない匂いがぷんぷんしたから。
そして、同情しているように見えて、その奥には「ま、不幸になるのはしょうがないよね(だから、ここはお涙頂戴のネタになってね)」という残酷な思考がほの見えたからだ。言うまでもなく必要なのは「同情」ではなく、「理解と共感」だ。そう思うと、虐待や貧困などなども、リサーチはしているようだが、要するにストーリーライン上にプロットしているだけに見えてくる(実際、そう書かれた小説だと思う)。
その点では、作者が「ネタと消費していい」と思ったのは、性的マイノリティだけではないということだ。その事実にはむしろ救われる。端的にカネになればなんでもいいという書き手に過ぎないということらしい(つまり無差別という訳だ。勿論、皮肉だが)。52うんぬんというのは、閉じ込められて外に届かない声を、気の利いた言い方で言っただけのことだ。

CINRAの記事で、制作者・出演者・コーディネーターがこの問題を強く意識しているという発言があって(つまり、原作の致命的な問題を認識しているということ)、どう処理するのだろう?という一点の興味で見に行きました。

成功していたと思う。
原作を読んだ時の、あの吐き気を催すような残酷さは完全に消えていたから。
反面、何が言いたいかわからない作品になってしまった。こうして映像にしてみると、要するにゼロ年代に流行った「ケイタイ小説」なんだな、とわかる(ケイタイ画面に1つ、必ずクリティカルな事故か事件が起きなければならないというルールは「本屋大賞」を制圧したらしい)。そして、ヒールの造型は、韓流ドラマを見過ぎた人が見た悪夢か妄想のよう 笑。
言うまでもないことだけど、これは社会派の(社会に直面したような)作品でもなんでもない。deep Loveや、梨泰院クラスを社会派という人はいないだろう(というか、そういう作品の方が実は社会の現実を映していたりする)。

とはいえ、この作品の全てを否定することはできない。
主演 杉咲花さん・助演 志尊淳さんが素晴らしかったから。
この二人の演技だけが、この作品に図式のオンパレードから救い、実感の伴った問題提起になり、「理解と共感」への道筋を示していたと思う。
志尊淳さん、良かったと思う。あまり話題にもならず、きっと「日本アカデミー賞」にはノミネートもされないのだろう(あれ?されたのかな)。だけど、評価されるべき表現だと思う。やはり杉咲花さんは素晴らしく、その存在なくしては2時間見ていられなかったと思う。

問題はあるが、可能性や萌芽を感じた。
これをきっかけに、ダッサダサの日本映画も変わっていくといいな。
そしてこの「問題」の根底は、やはり社会にあるのだから十分に社会にコミットした作品だと思う。