悲劇だが、ラストで救われる。
事実に基づいているが、実際には六男クリスもいて、若くしてピストル自殺している。フォン・エリック家は息子6人中3人自殺、2人病死となっている。これ以上悲劇的な家族があるだろうか?
これは、さすがにたまたま起きたとは言えないだろう。何らかの原因があったはずである。
本作には、なぜそのような悲劇が起こったのか、探ろうとしている面がある。
父エリック(ホルト・マッキャラニー)の言葉には息子たちは「イエッサー」としか言えない。あまりに従順すぎる。まるで、反抗期など無かったの如くである。アメリカの家父長制にマチズモ(男性優位主義)が加わると、こんな感じになるのだろうか?
しかも父は息子たちを競争させる。これでは家庭でも息苦しさしか感じないだろう。
さらに、キリスト教信者の母(モーラ・ティアニー)も、夫とは違う形で理想を強要し、息子たちを救う方向には向かわないのだ。
その結果がこれだ。
しかし、この夫婦はこの時代のアメリカの典型が極端に顕れたに過ぎないのではないかとも思う。
こういう家庭は有害な「男らしさ」の観念を息子に植え付け、息子は苦しめられる。その苦しみは、日本よりもはるかに強いのではないか?そして、その観念はLGBTQの思潮が浸透しているだろう現代のアメリカにおいて今なお根強く残っているのではないか?
トランプがいい例である。強さを誇示し、決して負けを認めない。弱っているところを決して見せないではないか。
また、この観念は父をも苦しめると思う。息子が苦しんでいても、そもそも弱音を持つことを軽蔑するから、真剣に相談に乗ろうと思わない。そうすると、息子との断絶が起きてしまい、孤立感が増していくからである。
このように、マチズモは家族を壊す方向に働くと言えるだろう。
そして、有害な「男らしさ」に疑問を持ち、父に反抗し、父と決別した二男ケビン(ザック・エフロン)のみが生き残ることができたのである。
ラスト、外でラグビーボールで遊ぶ子供たちを前にしてケビンは涙を流す。その理由を尋ねられて父は「パパの兄弟は全員亡くなったんだ」と言う。すると、子供たちは「それなら僕たちが兄弟になるよ。」と言う。
なんと優しい子供たちだろう。このシーンが素晴らしい。
そして、この兄弟はマチズモと無縁の優しい男の子に育っていることがわかり、未来への希望を感じさせるのである。