黄金比
1:1.618の比率の長方形の映画
画面外も含めて映画ができてる
冒頭とラストは音だけで見るシーン
冒頭のカフェでのシーンから、かなり寄りのカット。画面いっぱいに人間が写っていて、どこで、誰と何を、どういう雰囲気でやっているのか、状況把握ができない。
謎が謎のまま、内容がない会話が繰り広げられる。
やっと広角になり、カッコつけたおじさん達が歩き始めたら、タイトルとクレジット。
歩きならスローで一人一人撮るとか、カッコよくないわけがない。
タイトルコールが終わるともう既に一悶着があったような音が聞こえる。画面は暗いまま。
音だけで映画を観ていたら誰かが撃たれているシーンで再開。
何も説明しないまま、雰囲気だけでかっこよさに引き込んで、いきなりシーンを展開する大胆さ。よだれ出る。
殺し屋が出てくるシーンはもれなく、接写。
状況のわからなさが、正体不明で、危うい橋を渡って、誰が敵かわからない彼らの状況とマッチする
ピンクが合流して、向かい合ってタバコを吸っているシーンで、少し状況が整理される。
これまでの出来事が、倉庫で語られていると思ったら、いきなり、その過去へとシーンは飛ぶ。回想と現在は、かなりの思い切りの良さで行ったり来たりする。
回想、現在、空想 一直線に進む映画の時間軸の中で自在に、大胆に時空が動く。
そして、ホワイトの享楽と狂った狂気。
痛みも怖さもピカイチだけど、色気を感じずにはいられない。
オレンジの回想でやっと彼らの周囲が見えて来る。それは、彼がドッグだから。
表の世界にいる彼が移る時は、場所や相手、時間がはっきりとわかる距離で撮られている。
音楽は必ず、その場で流れている。
BGMとしてではなく、映画の中の世界でできちんと流れている音楽なのが作中の世界を組み立てる強固なピースになっている。
ホワイトがかけたラジオの音楽は倉庫から出たら聞こえない
車でかかっている音楽は、車のシーンではカーラジオの音質と音量で、映画の中の音楽として流れている。そのシーンと時間を同じくしている倉庫のシーンに切り替わると、殴り合いを引き立てるBGMとして、爆音で流れる。映画音楽として。殴り合いの動きにピッタリと合うリズムで。
舞台演劇みたい
密室
ムダ話
英語ネイティブだったらもっとおもろいだろうな
恐怖と緊張が常にあるのに、そこに間違いなく可笑しみが存在している
その不自然な同居がたまらない。
あだ名を与えるくだりとか
拷問のシーンでさえなぜか、可笑しいと思う瞬間がある
北野武とタランティーノ
北野武は感情がない。底の見えない虚無
死んだ人にはもちろん口はない。容赦なくこの世から抹殺されていく。何も語らせずに。
タランティーノは、殺される側は最後まで叫んでいる。
死への恐怖は、見ているこちらが泣き叫びたくなるほど、画面いっぱいに広がる
同時に、殺す側にも、殺しに伴う快楽や狼狽、後悔、正義感、緊張が表出する
正義、悪、狂気、喜び、死への恐れ、後悔、裏切り、弱さ、ケア、
冒頭のオレンジ
マスキュリンでバイオレンスな男性世界の映画なのに、冒頭から弱さを曝け出すオレンジ。それをケアする
映画の世界、現実でもあまり見ないブラザーフットだった。
実際は偽りの姿だったから、演じていたからこそ、あえて出ていた弱みだったけれど、男性性のバルネラビリティとケアの姿はあまり表象の中で出てこないなと印象的だった。
没個性の服
一生説の語りで見せる各々の人間性
狂気の隣で踊る色気
恐ろしい、すごく恐ろしいけど、カッコいい
指輪
意味のないものは映画の中の世界に置かない人だから、きっと何か意味があるある
ピンク
スティーヴ・ブシェミ
ゴーストワールドの人だった!みたことある!しかも最近!とずっと思っていた!
納得!めっちゃすき