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ミシシッピー・バーニングのCinemanのレビュー・感想・評価

ミシシッピー・バーニング(1988年製作の映画)
4.0
『ミシシッピー・バーニング』
アラン・パーカー監督
1988年公開アメリカ
鑑賞日:2023年3月18日

1964年ミシシッピ州フィラデルフィアで公民権運動家3人が殺害された実際の事件をもとに映画化されたアラン・パーカー監督作品です。
FBIの若きエリート捜査官とミシシッピー出身のベテラン捜査官が事件の起こった町に調査に表れます。

アラン・パーカー監督の切れ味のいい演出により南部の人種差別の実態が見事に描かれている作品です。

【Story】
1946年6月21日。ミシシッピ州フィラデルフィアの田舎町。
黒人1名と白人2名の公民権運動家が乗った車は後続車に煽られる。
後続車がパトカーだったことがわかり車を停車させるが3人は後続車の男たちに銃殺されて行方不明となる。

FBIの若きエリート捜査官のアンダーソン(ジーン・ハックマン)とベテランのウォード(ウィリアム・デフォー)は事件を解決するため現地へ向かった。
地元警察は昼間3人をスピード違反で逮捕したが夜10時には釈放したと報告していたが、ウォードは公民権運動家の3人が釈放後すぐに事務所へ連絡しなかったことに違和感を感じる。
地元警察はFBIの介入を迷惑がっており、捜査には非協力的だった。

南部の人種差別実態を知らないウォードは町のレストランで黒人用のテーブルで食事をしていた黒人のホリスに話しかける。
ホリスは白人とかかわり合いになるのを怯えて席を立つがその夜KKKに襲撃され、見せしめとして町の表通りに放り捨てられる。
この町では町長も警察も公然と黒人差別発言をしており町の人々は報復を恐れて何も話そうとはしなかった。

町外れの沼で3人が乗っていた車が発見されるが車内に3人の姿はなく、ウォードは海軍予備隊に応援を要請して大規模な沼ざらいを始めた。
FBIに警告するかのように町では次々と黒人の集会所や教会が焼き払われ、事態はどんどん悪化していく。
町の住人の多くは黒人差別主義者でありKKKの報復を恐れて捜査に協力する者は出てこないので孤立無援の中で2人は捜査を続ける。
町にはマスコミも殺到して事件を大体的に報道し始める。

黒人少年のアーロンから“話すべき相手は保安官事務所にいる”というヒントをもらった2人は夜間にペル保安官補(ブラッド・ドゥーリフ)の自宅を訪ねて事件当日のペルにアリバイを尋ねるがペルは自宅にいたと証言し夫人もそれに同意した。
しかし、アンダーソンは部屋に飾ってあるペル夫婦の結婚写真にKKKのポーズをとっている仲間が写っている写真を見つけます。

アンダーソンの地道な聞き込みが続き少しづつ事件の全貌が見えてくるに従ってKKKの黒人たちの家や集会所が焼き討ちがひどくなってきました。
アンダーソンはペル夫人が黒人に対する差別意識がない知的な女性であることを知りペルの不在時に聞き込みを続けると・・・。

【Trivia & Topics】
*1964年。
東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催され、テレビではスパーク3人娘(中尾ミエ、伊東ゆかり、園まり)が大活躍し、みゆき族が銀座を闊歩し、「平凡パンチ」が創刊し、坂本九の「明日があるさ」や「幸せなら手をたたこう」の大ヒットで浮かれている時代に公民権制定前のアメリカ南部ではどれだけ根強い黒人差別が行われていたかがリアルに描かれています。

*著名な歴史家による批判。
『ミシシッピー・バーニング』は社会派の作品として高く評価されていますが、1963年までの7年間ジョージア州アトランタの黒人学校で教師をしていたアメリカの歴史家ハワード・ジンはこの物語に批判的です。
当時のFBIは公民権運動に非協力的で南部で黒人や公民権運動家たちが受けている暴力や不当逮捕などを司法省に何度通報してもFBIが捜査に乗り出すことがなかった。殺された3人がミシシッピーから戻らないことを何度も司法省に連絡したが全く政府は動かず、当時の危険な状況をロバート・ケネディには文書を手渡して制圧部隊派遣の要請をしたが政府は何もしなかったとも述べています。
政府が動きを見せるのはテレビが黒人問題を取り上げてアメリカの失態が世界に報じられたときだけだし、映画には黒人のFBI捜査官が登場するがこの当時黒人の捜査官は一人もいなかったことも指摘しています。

【5 star rating】
☆☆☆☆
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