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おもちゃのotomisanのレビュー・感想・評価

おもちゃ(1999年製作の映画)
4.0
 ヒトのおもちゃにされる我が身の軽さを嗤うような、ならば自分から「おもちゃ」と名乗って開き直るのはどうだい?
 この「おもちゃ」を幾らで贖うか競ってごらんと張ってみせるのが素の娼妓と違う芸妓の世界だ。翻って見ればそこは男の見得の切り処。それこそ虚栄に違いあるまいがそこを惚れたと告げて呑み込んでしまう。そうやって売った名が商売で返ってくるうちは、おもちゃも遊ぶ子供もいう事なしだ。
 そんな勝ち組ばかりなら世の中どうなってしまうだろう?負けて、惚れた分だけ苦しむ者、商売をしくじっておもちゃにたかる者、惚れつ惚られつの積りでいて甲斐性無しの打算に気付かぬ者、そんな山あり谷ありを横目に、それでも次のおもちゃに名乗りを上げる者がいる。

 その娘「ちび」は舞妓に推薦されたある日、幼馴染の働く大阪の材木店に忍んでゆく。市電越しに見つめる先で働く男の、かつて語って聞かされた通りの仕事ぶりにその偽りの無さを確かめ、声もかけずに身を退いて行く。
 この男と一生を過ごすこともできるだろうに、浮名を流して明日とも知れない遊びの終わりに気を揉みながら、カネと心中するような人生を"my way"と宣言する。備わった芸と生来の機知を信じて一番のおもちゃを目指すのも生家を覆う貧乏を払いのけるため。
 父親の名工の誉れも織り職人風情では一文の積み増しにもならず、失業した兄は左翼の言葉でこころを鎧ってひとをひとと思わぬ憎まれ口をたたくばかり。これで誰が妹弟の立身を支えられようか。「おもちゃ」の"my way"の行き着く先とは市川房江にも叶わないこの家の明日、今月、今年で来年の事であり、風俗営業取り締まりのいたちごっこの行く末、見えない果てにある権利確立ではない。

 この「おもちゃ」の決心を受け止めるのが斯界の通人というところに何か過剰な思い入れを感じてしまってくすぐったいくらいだ。監督がにこりともせず精一杯を示したような華燭にかえってこの世界の窮状を察してしまう。
 「ちび」の名を捨てて40年、あの頃のおかみさんの年齢に届いたろう「おもちゃ」がどうなっているか。靡いて騙されて啖呵を切って捨ててやって拾ってもらっての姐さん方と同じ道を歩んだのだろうか、監督も無言ならおもちゃも黙って一献かたむけるばかりだろうか。
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