すきま

メンゲレと私のすきまのネタバレレビュー・内容・結末

メンゲレと私(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

「ホロコースト証言シリーズ」3部作最終作だけど2つ目に鑑賞。
前の一本と話を混同して覚えてるかもしれないけれど、ユダヤ人側の証言を2つ続けて見たのは、状況把握として良かった気がする。

『ユダヤ人の私』のマルコはオーストリアの青年だった。今作の語り部リトアニアのダニエルは、ナチスが侵攻してきた時8歳で、ぎりぎり収容所の前の暮らしを覚えている年齢。収容所での待遇も若干違う。
材木商の末っ子で、父親はパレスチナのキブツ(ユダヤ人コミューン、wikiによると帝政ロシアの迫害を逃れた人達で1909年につくったものが最初)のマッチメーカーとも取引していて、そこを太陽の輝く夢の国としてワクワク話を聴いていた、というところから映画は始まっていく。
その頃乳母にドイツ語を教わったということだ。
彼の語りのほとんどは英語で、時々ふっとドイツ語が入る。今の意識と収容所にいる彼が混ざるように。英語が明瞭なせいで、直接話されているような感じがした。

一次大戦?で攻めて来たロシア軍は、おそらく地方出身の兵士達で、優しかったと記憶していたようだ。制服が良かったと。
次のナチス襲来前日のリトアニアで、それまで一緒に楽しく暮らしていたはずの人達が豹変し、広場にユダヤ人がひきずり出され鉄の棒で撲殺されていくのを、兄を探す途中のダニエル少年は目撃する。
気が動転しなかったのを自分でも心が無くて変だと思うと話されていたけれど、小さい子どもには、極端な出来事もとりあえずフラットに受け止める性質があるように、わたしは思う。
捕まって収容所に送られ、父は留守で母・姉とは駅で生き別れ、兄とは途中まで同じ収容所だったけれど、別々に作業して顔を見合わす程度だった。やらされた作業は、ガス室送りの人から剥がれた品物をカートで運ぶこと。
会えなくなった家族について語る時、負の感情が一気に表出していた。
収容所の中での話だったと思うけれど、従妹と動物の死体を拾い集め、くるんで埋めてお墓を作っていた、どの動物にも名前をつけたという話があった。わたし達がお人形さんごっこしていた年頃に、この人達は収容所で死にまつわる作業をし、動物に名前をつけ埋葬していた。
別の収容所への移動前にパンを支給されたけど、その頃にはぐったりして食べられそうになかったので兄に渡した、食べれたらそうはしなかったかもと。これの前の映画もそうだけれど、消耗をよりさせる為なのか、やたら移動させられている。

今回の合間に挿入された、ヒトラーを揶揄するアメリカのアニメ映画がわりと良く出来ていて面白かった。けれど、他人事だからこその笑いだ。
終わりの方で、ナチスから解放後のフランスで、ドイツ兵の妻となったフランス人女性達を、広場で晒しながら髪を剃り上げる映像も入った。
あれは、撮影者の意図はフラットな気がするけれど、占領軍が見せしめの為に撮影させたものだろう。
キャパの写真で以前見た光景だ。キャパは、戦場以外ではごく素直なスナップを撮る人で、新聞社も熱狂的に解放されるフランス人の写真を求めていただろうけど、その光景のひどさに思わず記録したのだろう。
酷い映像だけれど、中には泣かずに群衆を見据えて頭を剃られていた気丈な女性もいて、終わった後軽トラの後ろに載せられながら、泣く仲間のまだらな坊主頭を撫でてあげていた。

飢えが極まった頃、空襲で死んだ人の肉を自分で食べるでなく、加工して鍋で煮て売るものがいた、というカニバリズムの告発もしていた。あんまりで腹が立って鍋を蹴飛ばしたと。
連合軍が大砲の音が近づく頃に、よその収容所へ向けて最後の「死の行進」をさせられる。通り過ぎる街の人達は、助けるどころか逃亡を見つけたら密告した。
何とかうまく取引きして、チキンスープを飲ましてもらう。ダニエルはなぜか制服が好きで、ドイツ軍が置いていっただぶだぶの制服を着て、皆に嫌がられる。それと取引のお代として知り合いの女性をくどいて差し出す場面の話が、後味が嫌で生々しい。
機転を利かせて生き延び、兄弟ようやく再会できたけれど、リトアニアでもまた、ユダヤ人は受け入れを拒否された。
自由を求め、兄弟は密航を経てパレスチナへ脱出する。

途中、メンゲレの実験の話は少し出たものの、タイトルな割には少ししか出なかったように思う。悪夢のように出鱈目で無意味な実験の話は、調べればわかるし、わたしも書きたくない。
ただ、メンゲレが収容所の子どもを右、左と指差して、残すかガス室か瞬時に非人間的に決めたこと、それを戦後に実演して聞きにきた子ども達を仕分けしてみせて震え上がらせたこと、それは自分の子どもの傷になっただろうと語っていた時は、わたしも少しぞっとした。
彼の中ではやはり全く終わっていない。
見栄えの良いダニエル少年を使って、赤十字の視察をメンゲレがこなしていたこと、ナチスを見逃してしまった赤十字について、彼は許していない。他のイスラエルに行ったユダヤ人にも、そういう人がいるのかもしれないし、現在の国連への不信とも繋がっているのかも。

昨日見た2本は、たった2つの家族の物語だ。それで結論は出せない。
アンネの家族を匿った人々のように、命がけで行動した人も各地にいるはずだ。
けれど、圧倒的多数のヨーロッパ人はたぶん、西欧も東欧も北欧でも、ユダヤ人を差別し見殺しにするか自ら殴ったり密告し、戦後も反省せず他人のせいにした。かつ補償させられるのを怖れ、地元にユダヤ人が戻って来るのを快く受け入れなかった。
それで、パレスチナを距離が離れてちょうど良い、姥捨て山かつアラブへの前哨基地として、キープし続けてきた。
パレスチナの原住民が被った被害について、最初に押しのけてイスラエルに入植した人達の心持は、たらいまわしにされてやっと辿り着いた先のことで、思いやる余裕がなかったのかもしれない、そしてそれはまず誰のせいだったのか、とちょっと思った。
杉原千畝のような立派な人の話だけ好んでして、自分達を反省する代わりに彼を持ち上げるだけで終わらせるのはよくない。アイヒマンやメンゲレや忘れやすい人々を責めるだけでも、話が通じないので何も変わらない。
人間はだいたい自覚なしにひどいことをするから、自重すべきだ、けれど立派に立ち向かう人達もいるから、見たらその人が生きているうちに折れる前に応援するんだよ、という話ができるといいなと思う。あと、ひどい場所になる条件と、そこからの逃げ方についてと。

イスラエル人の多くがパレスチナ人を思いやれない原因は、やはり彼らだけにあるのでも、ホロコーストだけにあるのでもないと思った。
もちろん国家としてのイスラエルやそれを支援している国や企業には重大な責任がある。けれど、まずナチスへ彼らを差し出し、終戦後も彼らをきちんと受け入れられなかった人々は、まず反省すべきだ。
そして、それはこの日本で、朝鮮や中国やフィリピンや沖縄の人、帰還兵に行われたことと同じでもある。

決して人間の忌むべき嫌な部分だけ集めたような映画ではなく、切り抜けた知恵と勇気の話でもあった。けれど、今のパレスチナの状況に直接つながる内容なので、重い後味がずしんと残っている。
三部作で終わらせず、『ガザの私』や『イスラエルの私』があって然るべきではないかと思う。
すきま

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