くもすけ

ハッドのくもすけのネタバレレビュー・内容・結末

ハッド(1962年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

口蹄疫にかかった牛の検査をする間、仕事にあぶれた無軌道な三十男が暴れる話。ロニーがポケットラジオを手放さないのがいい。あと皆勝手に出入りしていくのもいい。

■リットとニューマン
リットはテレビから干されたのち舞台に戻って糊口をしのいでいた。赤狩りが衰退してようやく長編監督デビューし、ニューマン夫妻と出会う。
リットとニューマンはプロダクションを設立し旧知の仲の夫婦脚本家Irving RavetchとHarriet Frank Jr.を雇う(合計8本共作することになる)。

ニューマンはあばら家で寝食して役づくりし、方言指導は「ジャイアンツ」でディーンに教えたのと同じコーチのBob Hinkle。豚追いレースのシーンを考え、司会として出演もしている。

メルヴィンダグラス(とは気づかなかった)は当時心臓が悪かったようだ。確かに死にそう。
甥役Brandon deWilde は、シェーンを崇拝していた子役か。

■脚色
原作はHorseman, Pass By。タイトルはイエイツの詩から取られている。著者はラリー・マクマートリー。テキサス出身で25歳のとき大学に籍を起きながら本書でデビュー。その後続くテキサス三部作はすべて映画化され、その最後が「ラストショー」。その後も断続的に執筆し「愛と追憶の日々」「ブロークバック・マウンテン」などが映画化されている。

原作はバノンとロニーを中心にした話だが、リットはハッドに焦点をあてる。最後まで懲りないアンチ・ヒーローとして設定し、それにつれてタイトルも変遷し、The Winners, Hud Bannon Against the World, Hud Bannon、最終的にハッドに落ち着く。

三世代の男が暮らす家でパトリシアニールが台所にたっているのは違和感しかないがこれは脚色の結果。原作にあったバノンの妻が消え、ハッドは養子から実子に変更された。メイドは黒人女性Halmeaだったが、白人女性に変更された。

脚本家によれば、この人種の変更はアメリカ社会がまだ準備できていなかったゆえ。この変更によりハッドが「完全な悪」から救いのあるキャクターにかわった、とも。

本作は監督8作目。リットはデビュー作で人種差別をテーマにして、それが結果的にカサヴェテスに「アメリカの影」を撮らせる。それがどの程度影響したのか、公民権法成立を前にした混乱のさ中保守派に配慮したのか、コードのほうが足枷になったのか。それともこちらのほうが苛烈な脚色なのか。

疫病の蔓延をやり過ごし牧場を乗っ取ろうとするハッドの利己的な態度は父と対立する。原作はロニーが祖父の挙動を観察しながら読者に語りかける回想形式らしいが、映画には「ラストショー」のベン・ジョンソンが子供たちに優しく諭すようなシーンはなく、バノンの言葉はハッドの攻撃的な態度の前では頼りない。

撮影監督ハウとリットは合計4本組んでるが本作で二度目のアカデミー賞受賞。牛の大量処分シーンは動物の福祉団体査察の下撮影されている。なかなか迫力のあるシーン。
バーンスタインのスコアは寡黙ながら効果的。ギターの素朴な響きが印象深い。

完成品は、暗い、としてパラマウントから嫌われたが、批評興行ともに当たったらしい。
トレイラー見ると扇情的な売り方でアンチヒーローを描く意図は大いにあっただろうが、今見ると貧しさばかり目につく。コピーは「ハッド、有刺鉄線の魂を持つ男!」