ジェームズ・ベニングの作品はよく『実験的』という言葉で語られる。
ある一つの場所の風景を、ただ定点で捉えたものの堆積物。そんなふうに評されれば、とても無機質なもののような気がしてしまう。
でも、どんなジャンルの表現者でも、稀に『実験性』というものが原始的な、アタビスティックな境地にたどり着く人がいて。
ジェームズ・ベニングはまさにそんな表現者だと思う。
朝のジョギング、鉄工場で工員が溶接している様子、巨大な礼拝堂が出てくる家族連れ、スクールバスを待つヒスパニック系移民の親子、休日のサッカーグラウンド、…
90年代後半の日本でも、似たような風景の匂いみたいなものを感じられた気がする。いや、世界のどこでも。
無造作に風景を映し取っているようで、普遍的ななにかをキャッチしている。