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SUNRISE TO SUNSETのrichardのレビュー・感想・評価

SUNRISE TO SUNSET(2023年製作の映画)
5.0
いつか語ったあの未来に俺たちは辿りつけるかな、おまえなしで。

いつものメンバーが集まる。
あのときもよく
あの場所で会ってたよな 俺たちは。
あの時間、あの日のことを
俺たちはいくつになっても昨日のことみたいに思い出せる。
思い出せるし、こうやって語り合える。
でもひとつだけちがうことがある。
あいつがここには、いないってこと。

Pay money To my Pain。
伝説のロックバンドの正体は、情熱のぶつかりあいの中で生まれた音楽と、孤独を抱きしめ続けた青年Kの繊細な心。
死ななきゃ伝説になれないのなら、死ななくたってよかった。
でも伝説にならなきゃ、こんなには注目されなかったのかもしれない。
わかんない。Kには生きていてほしかったし、PTPは続いてほしかった。
でもそうしたら、geneというアルバムはあの完成品には辿りつかなかったのかもしれない。
わかんない。わかんないな。
たらればばかりを頭の中で勝手に繰り返していると、メンバーの誰かが言った。
残ったのは、Kと過ごした時間だけ。みたいなことを。

大好きなドラマがある。大豆田とわ子と3人の元夫で、とわ子が親友であるかごめを亡くし、彼女について気持ちを偶然出会った小鳥遊に吐露する場面。かごめは幸せだったのか、自分にできたことはなかったのか。後悔や悲しみを語るとわ子に小鳥遊は「人間にはやり残したことなんてないと思います」と声をかける。
人生って、小説や映画じゃない。幸せな結末も、悲しい結末も、やり残したこともない。
あるのは、その人がどういう人だったかということだけです。
だから、人生にはふたつルールがある。
亡くなった人を、不幸だと思ってはならない。生きている人は、幸せを目指さなければならない。

Kが、何を思っていたのか。
何に、心を動かされ、何に苦しみ、何に絶望し、喜びを感じ生きていたのか。
仲間たちはインタビューの中であまりK自身のことを分からないことまで深くは答えなかった。(ように思う)
ただ、あの日々で彼らがどんな時間を過ごしていたか。
彼ら自身が、Kとの関わりの中で何を得たのか。何を思ったか。
そこに、どんな時間があったか。どんなふうに人生を歩んできたのか。それだけを訥々と語っていた。

著名人の死は、多くの人間の心を揺さぶる。
そして追悼の会などがあると、交流のあった人たち(そんななかった人ほど)がたびたび、あいつがいたら、こう思ったろうな、みたいなことを言う。それがいいとか悪いとかじゃなく。けど、でもそういうシーンを見るたびにいつもこのとわ子と小鳥遊の会話を思い出した。
いねえし。いたらとか言うけど、いねえもんなあ。
当事者じゃないからそういうことを言えるんだと思われるかもしれないが、わたしは、葬式に出たときの〝そういう空気〟が苦手だった。だからわたしたちは、結局のところ、ご冥福をお祈りした2秒後には「あ~パンケーキおいし」ってストーリーをあげて、そうして人生を楽しんでいかなくちゃいけないし、線引きをしないといけないのだ。

チェスター・ベニントンが死んだ
wowakaが死んだ
坂本龍一が死んだ
チバユウスケが死んだ
それでも俺たちは生きている。生きているのだ。

でも、残された人々にはたくさんの後悔があって、掴んだ手を離さなければ、と何度も何度も、今でも思うのだろうと思う。
それが痛いくらいに伝わってくるから、だいぶしんどかった。バンドメンバーというよりも、ただ、唯一の友人として語っているのを言葉の節々で感じる映画だった。

ブレアフェス、めちゃくちゃよかったな。
VoiceでTakaが、メンバーと顔を寄せ合って歌うシーンは、もう。わたしたちには分からない痛みを、分け合って、分かり合って、彼らは生きている。そのさまがどうしようもなく美しかった。美しいと思ってしまった。俺も同じだぞと、全力で呼びかけるTakaが、かっこよかった。
そして迎えるRainが、過去のライブ映像とブレフェスのステージの映像が交錯して、ああみんな月日を追って生きてきたんだなと思った矢先に誰もいないマイクスタンドが映り、そうかあいつはここにはおれへんのか、って気持ちにさせる。お涙頂戴もいいところ、そんなんわかってるし、それでも涙は止まらへんし、彼らの復活を待ち望んだファンには必要なステージだったのだと思った。

何年か前のフェスで撮影をしたとき。
そのライブでは、ボーカルを亡くしたバンドが出演していた。後日ラジオでDJがそのフェスの話をしていたのだけど「演出だと思うんですけど、マイクがひとつだけ立ってる映像がモニターに映ってたんですよ。誰もいない画に、ボーカルの声だけが聴こえてきて、、」っていうトークがされているのを聞いて、身震いしたのをふと思い出した。わたしたちはそうして人の心を動かしていたのか、と実感した。

SUNRISE TO SUNSETでは、監督の執念のような何かを感じずにはいられなかった。
映像を、記録をするということをやっている人間の、ひとりの人間が生きた証を残す使命に似たようなもの。
ドキュメンタリー映画ってとっつきにくい印象があるけどこの映画はどこまでも芸術作品的で、皮肉にもKの死にわたしたちは金を払うことになる。

最後のメッセージも、エンドロールで流れる映像も。
まだKが生きているような気がしてならないし、
〝・・・っていうフィクションをこの10年間のあいだやってました~♪〟
みたいなオチが来るんじゃないかと思わせる。ずるかった。

それでも。
それでもKを支えていたのは音楽でありながら、
同時に苦しめていたのも音楽であることに変わりはなかった。
芸術をするっていうことは、
何かを生み出すという作業は、わりかし苦しい。痛みをともなう。
そしてその音楽を、苦しみを、痛みを求めていたのはわれわれだった。
大好きになったPTPの曲がたくさんあって、映画を観終わってからも何度も何度も聴いているが、その最後に迎える結末が、この歌い手がもうこの世にいないという事実に行きついてしまうことがつらい。アルバムを聴き終わるとものすごい喪失感に苛まれ、そうしてまた頭から聴き、同じことの繰り返し。彼の残した音楽を彼のいない世界で好きになって、わたしたちはどうすればいいというのだろう。

わたしはPay money To my Painのライブに行けたことはない。
なかったが、映画を観て初めて、これでなんとか、彼の痛みに金を払うことは叶ったのだろうか。
そうであればいいなと思う。
そうであればいいなと思うが、そうであればいいなと思うことは、彼の死を称賛してしまっているような気もする。この結末は正しいのか。
わかんない。わかんないな。

それでも、Kが残したものが
音楽だけじゃなく、友人と、そこに集まる仲間と、彼をとりまくもののかけがえのなさを目の当たりにして、ばらばらと涙がこぼれた。
Kはいなくなってしまったけど、残ったのはぽっかりとあいたその穴だけではなかった。

パンフレット購入したらまた更新します。

この胸の痛みは大事にとっておく。
大切な人の手を離さないでいよう。

あとはわたしに、何ができるんだろう。
richard

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