もやし

アメリカン・フィクションのもやしのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
5.0
この映画が楽しみで楽しみで、そして面白くて面白くて、深夜まで見て眠くなって寝て早朝起きて一気に観終わりました。

一見すると、白人の黒人への差別意識を必死でなくそうとしてるフェミニストを小馬鹿にする映画なのですが、最後まで見るとものすごい違和感があって、ずっとその正体を探っていたらようやくわかりました。当事者からすれば何も難しい映画ではないのですが、アジア人とかの白人でも黒人ででもない人間からすると非常に難しい。
普遍的な差別を扱った映画もあるけどこの映画だけは断じて違う。これは白人と黒人のためだけの映画だ。俺等がどう的確な感想を言おうともそれは全て野次馬根性でしかない。



主人公は黒人の小説家。冒頭の、黒板に「人造黒人」と書かれていて、これは酷い差別だ!とブチ切れる白人学生が出てくるところで爆笑しました笑
これだ! 俺はこれが見たかったんだ! やっぱり白人はステレオタイプの黒人を対してしか差別意識が浮かばないんだと。これは前述の通り俺のとっても見当違いの感想だったのですが。

主人公は欺瞞が大嫌いで、このスタイルで原稿を書いて出版社に送るが毎回ボツ。非常に知的な作品ながら、こういう小説は誰も求めてないと。


勤めてる大学でも散々やらかしていて、休暇という名の休職を命じられる。


そして10年ぶりぐらいに実家に帰る。
この映画はヒューマンドラマとして見てもとても良くて、シリアスではあるんだけどどこか温かい、独特の魅力がある。

姉も弟も皆医者。とても賢い家系のようだ。
タイミングが悪くというか、主人公が省って来てから辛いことが立て続けに起こって、家族も大変革が起こってしまう。

実家の向かいの女性と、最初のやり取りからして相性が良く、徐々に仲を深めていく。この人も公選弁護士で、またもやインテリ。


母がアルツハイマーで施設に入所することになるも、皆何故か揃って金がない。
そこで主人公は自分の信念を曲げて、ステレオタイプの黒人を描いた、本人から言わせれば三文小説をペンネームを変えて書き上げていつも付き合いのある、色んな出版社と仲介してくれる男?(よくわからん)に原稿を読んでもらう。
顔をしかめる男。何だこりゃ。酷え小説だな。 だろ? 暇潰しに書いた本だ。出版社もこの皮肉に気付いてくれるだろ。

そしたら案の定というか出版社から高額の担当のオファー。小説の大ヒット。映画化の話にまで。
おいおいこれはどういうことだ。宣伝文句として、これが黒人のざらついたリアル、差別の本質、みたいな笑

何と本が何らかの賞にまでノミネートされてしまう。
審査員は5人。白人が3人、黒人が2人。黒人はこの小説を酷評したが、白人は絶賛。多数決で優勝が決定。


とここまで読むと、白人ってやっぱ馬鹿だよなあ。本質なんて何もわかっちゃいないんだなあ。という単なるカウンター映画になるだけなんだけど、最後まで見ると、あれ…? 何だろうこの違和感。何か違うぞ…? となる。


それに至った経緯はすっ飛ばしますが、これは白人も黒人も、どっちも嫌な思いをする、あるいはどちらも笑ってしまう映画なのかなと。
この映画の黒人の登場人物皆がステレオタイプな黒人像に対して言語化して違和感を伝えられる特別なカウンター的存在で、白人は皆馬鹿で想像力がなくて黒人の本質を理解できる人はいないのであるという野次馬からの勝手な勘違い。
実際のところは、白人からして見てもこの映画に出てくる白人は明らかに皆ステレオタイプであり、黒人からしてみてもこの映画の登場人物が皆特別賢いように見えるわけでもない。
つまり黒人も白人も、実際のところは野次馬が想像するほど画一的ではないということ。つまり一番愚かなのは野次馬根性でこの映画をしたり顔で評論する人だということ。私が冒頭のシーンで爆笑してよく言ってくれた!という感想を持ったのは、今となってはそれが一番滑稽な存在だったなという恥ずかしい結論に至った。

当事者からすれば馬鹿にされたと怒る人もいるだろうし、ハハハこんな馬鹿もたまにいて笑えるよね、的な映画なんだと思う。
非常に奥深すぎる映画でした。
もやし

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