マ

アメリカン・フィクションのマのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
4.8
この映画のあらすじを聞いた時 殆どの人は、SNSで話題になっているように、まさに「アトランタ」の様な 皮肉が効いた毒のある楽しいコメディを想像するだろうし、自分も想像した けど、この作品は全くもって違う。
主人公の繊細な日常や人生が、主人公自身の作るフィクションと、フィクションを通してマトモであることを随分前に辞めた社会によって、確実に侵食されていく様子を描く。まず「テンポの良いドタバタコメディ」だと思って見に来る観客に対し 「ゆったりとした、超個人的な家族ドラマ」を提出するマーケティングの仕掛け自体が強烈。

主人公の日常パートも"フィクション"であり、この映画も"フィクション"。複雑性や個人の苦しみを受け入れることは一切認められない 厳密に言えば「オレたちは個人の苦しみや複雑性を理解している」という、思い込みしか存在しない からフィクションによって現実も崩壊する、映画も本も崩壊してる。構成としてソレを確実に見せつけるこの映画は、あまりにも悲痛的だと思う。

繊細で複雑な現実と、醜悪で陳腐で汚いフィクション、そのフィクションに個人や他者の人生を含む現実を重ね、依存するさらに醜悪な社会。例え 元々は弱者の存在表明のようなものであったとしても、現代ではただそれぞれが、特に加害を行う側が腐って行く為の手段でしかない。
どんなに問題提起をしてるように見える作品でも所詮は現実に存在する人々を陳腐に消費する道具、「トップガン マーヴェリック」や「RRR」のような作品なんて言うまでもなく 現実を無意識に破壊する手段でしかない。"フィクションなんだから現実の事を忘れてスカッと楽しもう❗️"みたいな時代はもうずっと前に 特に9.11以降くらいから終わってる。フィクションが人を殺すというリアルこそ、無視され続けてる。

そんな地獄の中で、"白人の罪悪感を減らす為のフィクション"を書いたシンタラが言うことは アメリカ社会の中でマイノリティとして、"露骨"な作品を出し続けるアーティストのリアルと少なからず触れていると思う。求められてるモノを作って何が悪い?"黒人の可能性"と言っても、じゃあゲットーに生きるマイノリティや弱者を描き出す必要は無い?そもそもの話、白人が圧倒的に強い権力を持っているアメリカでマイノリティが"フィクション"を作ることに、本当に希望なんてあるの?何を作っても白人の免罪符にしかならないのでは?
恐らくプエルトリコ系移民のエージェントが主人公のフィクションに対して取るスタンスにも、まさにアメリカ社会における創作の地獄が垣間見える。

勿論この作品は、非当事者として、「それでも夜は明ける」や「隔たる世界の2人」を観ながら どこか他人事の様にマイノリティへの理解を示す姿を見せようとしている自分にとっても痛い訳だけど、そもそも 最早フィクションに希望を抱くことが、リアルを求めること自体が根本から崩壊してるんじゃないか とすら思えてくる。
フィクションは崩壊してるし、フィクションにおけるリアルも崩壊してる。映画も本も、本当に"リアル"な作品には苦しみ以外に何も映らない。映画鑑賞の限界。フィクションの限界。この作品が地味な家族ドラマとして作られてることは必然的。

ラスト、映画自体が文字通りその枠を飛び越えた場所で、ただ"現実"に存在するひとりに目線を向ける。この映画で本当に"リアル"として描写されるのは あの瞬間だけ。
2020年代の"フィクション"にはもうこういう道しかないんか... この作品やニモーナ、ラドゥ・ジューデのアンラッキー(以下略)みたいな作品こそが、現代の創作において唯一の良心みたいなものなのかもしれない。


...アカデミー賞で起きた事すら 多分この映画は視野に入ってたと思う。
マ