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アメリカン・フィクションのmegurosのネタバレレビュー・内容・結末

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

ステレオタイプな”黒人エンタメ”が求められる出版界に辟易し、ジョークのつもりで書いた(母親の介護費用のために書いた)黒人要素てんこ盛りな”ゴミ小説”が大ヒットしてしまう。日本の映像産業と同じ構図があるのだとまず安心(謎の安心)したのだが、作家セロニアス・”モンク”・エリソンの担当編集者の例えが振るっていた。

曰く、ジョニー・ウォーカーには赤(10ドル)と黒(30ドル)と青(160ドル)がある。いずれも同じ会社によって作られたものだが、赤はshit、黒はless shit、青はgoodである。青は上質で複雑な味わいだが、青には手が出せない。突き詰めると、結局酔えればいいのだ。それと同じで、売れるのは気軽に読める本だ。赤はシンプルで卑猥で文学的ではないが、欲求を満たす。そこに価値がある。セロニアスに至っては青はもちろん作れるが、変名で赤をヒットさせたわけである故、ジョニー・ウォーカーにも優っていると。

市場が求めるものを書いて何が悪いの?という若き作家シンシア・ゴールデンは、モンクに対して”可能性”という言葉は現状に不満がある人のセリフだと言い放つが、その通りだろう。現状に不満があるのだ。高い理想を持ちながらも不満タラタラに生きていくこと。公選弁護人を生業とするご近所の新彼女はモンクの魅力をSad Funnyと表現するが、その悲哀がシニカルな可笑しみと共に映画に充満している。

突然の心筋梗塞で命を落とした妹の手紙にしても、ゲイバレして財産・子供を白人妻に根こそぎもっていかれた兄(酒とドラッグにも溺れている)の魅力にしても、認知症で古い価値観が表面化している母親の愛情にしても、人生は悲しいだけではない。

ラストシーンはハリウッドの自称敏腕プロデューサーの新作撮影現場(南部に引っ越した白人夫婦が黒人幽霊の殺戮に遭う「Plantaion Annihilation」。映画冒頭ではライアン・レイノルズが首チョンパになるらしい)。そこでモンクは、小説「FUCK」を書いたのは逃亡犯ではなく文芸作品で稼げない作家であったとする脚本のプレゼンを行うメタ構造となっているが、本作はその映画に出演するエキストラと会釈する場面で幕となる。そこには不満はありながらも要請に応えていく悲哀があり、バックに流れる「枯葉」と相まって見事だった。

The Lliterary Awardの審査会では、自身がでっち上げた「FUCK」を白人審査員が”リアルで生々しい”と大賞に推薦し、「今こそ黒人の声に耳を傾ける時」と黒人審査員の2票を白人票で押し切る場面となるが、ここもペーソスが利いていた。階段ホールに架けられていた写真はゴードン・パークスによるDoll Test(1947)。差別がアフリカ系の子供の精神に与える影響を測る実験で、大多数が肌の色が白い人形を好ましいと選んでしまうことが発覚した実験とのこと。

ちなみに、監督は今作が初監督作。オスカーの舞台上ではチャンスが与えられたことを感謝していた。原作はPercival EverettのErasure(2001)。
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