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アメリカン・フィクションのvioletのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
4.0

アカデミー賞を見て早速!

風刺が効いたコメディーで、ライトにもヘビーにも受け取れる優れものだった。「白人の免罪符」というような痛烈なワードも登場する本作だけど、今後目を向けるべきはまさにこういった部分になってきている気がする。ポリコレの問題が最も頻繁に議論されるハリウッドが、ヒヤヒヤするほどメタ的なこの作品を世にリリースしたことは、映画業界全体への一種の戒めのようにも思える。


以下ひとりごと↓

結局のところ世間に好まれるのは、"悪しき家庭環境に苛まれ、犯罪に手を染めてしまう黒人の物語"。そしてそういった作品を高く評価することこそがモラルであり、正義であり、善行であると信じられている社会に辟易としているのが小説化である主人公。ステレオタイプ的な黒人を演じてみるも、大胆不敵で威勢のいい白人プロデューサー?に萎縮するシーンが最高に皮肉めいてて面白い。白人の彼の方がよっぽど"黒人的"(あえてそう言う)だったんだよな。


「黒人の声に耳を傾けるべき」という言葉すらもはや白人のエゴに思えてきた。文学賞選定のシーン、最終的な決断は白人によって下され、主人公が抗議をするも無意味に終わる。黒人作家同士の有意義なディスカッションとは対照的に、ヘラヘラしながら「FUCKは傑作だ!」と宣う白人たちがなんとも滑稽で…
彼らは文字通り黒人の声に耳を傾けているのか? いや、彼らは黒人作家が書く作品を最優秀賞に選ぶということに価値を見出しているに過ぎないんだ。だって作者に言わせてみれば、あの本はなんの文学的価値もない代物なのだから。


見栄えや印象を良くするために黒人を起用することは、結果として白人集団の価値と評価を高めることに繋がる。下心が一切なかったとしても偽善のように見えてしまうというのは酷な話だが、事実そう見えてしまうのだから難しい。

映画のプロダクションを引き合いに出すと、一昔前なら白人しか登場しない映画もざらにあったが、現代ではそれは許されない。世界的なコンペで受賞を目指すなら、社会問題や国際問題を盛り込まなければ勝てない。
単なるエンタメだったはずの映画が、このような高度な社会性を兼ねるようになってきたのは、ごく自然な変革なのかもしれないが、あまりにもそれが通例となってしまうと、逆に退屈で薄っぺらく思えてしまうのは私だけだろうか?


ただ観ている人を楽しませたい!という動機で作られたであろう『スティング(1973)』のような作品がオスカーを獲っていた時代は、今より社会がずっと単純で、ずっと面白かったのではないかと思う。(社会が複雑化された今だからこそ人々に問題意識が芽生え、社会問題が解決に向かっていっているから、どちらが良いとかではないけれども)


"人種差別への向き合い方"という、斬新な切り口がとても好きだし、問題の本質をしっかり捉えているテーマが好感触だった。
多様性のアピールのためにやたらめったら有色人種やセクシャルマイノリティーの人々を広告に使い、その裏で同種の人々に過酷な労働をさせているような企業は、ぜひこれを観て自らの邪悪さを省みてほしいですね。
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