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アメリカン・フィクションのshoのレビュー・感想・評価

アメリカン・フィクション(2023年製作の映画)
3.8
思わずニヤッとしてしまうユーモアが満載で面白かった。

行き過ぎて本筋からズレてしまった“ポリコレ”的社会の潮流に対し、エッジの効いたユーモアで風刺する作品だった。

原作は未読だが、
鑑賞中、ルキアノフとハイトの著作「傷つきやすいアメリカの大学生たち(The Coddling of the American Mind)」を思い出した。まさにこの本で議論されているようなことがそのまま映画になっていると思う。

映画の冒頭、大学で米南部文学について講義するモンクに対し「作品について意見はないが、差別用語を使うな」と抗議する学生が出てくる。差別用語は、作品のタイトルに使われる単語だ。
モンクは作品の背景や言葉の意図を理解することの意義を説くが、学生は単語自体が不愉快だといって譲らない。最終的に、学生は泣いて席を立ってしまう。
これは、アメリカの大学で起こってるとされるキャンセルカルチャー的現象のテンプレのような描写だ。

その後劇中で示される「より黒人らしい黒人」といったマイノリティらしさの同調圧力。
「虐げられてきた黒人」と社会構造を単純化し、白人の贖罪意識を満たすことでウケる物語。

その背景にあるのは、「アイデンティティポリティクス」、人種やジェンダー、イデオロギーなどの共通項を持つアイデンティティ集団による政治闘争的な社会の潮流だ。
この潮流の空気感にハマってしまうと、意図せずとも集団対立的な思考に陥ってしまう。
例えば、集団の特徴であるアイデンティティを強調することで、自集団を強化し、他集団との差別化を図ろうとする(→黒人の「黒人らしさ」の強調)。
異なる意見や言葉、価値基準に対し非合理に非難する(→差別用語への感情的な否定)。
そして、多様な人種・イデオロギーをもつ人々が共に生活し議論するためのコードであるべき「政治的正しさ」が、人間の複雑さや曖昧さを排する圧力となって機能してしまう。

本作は、皮肉が皮肉と受け取られず一般ウケしてしまうという映画だけど、現実にこの皮肉が全く通じないどころか、この映画の存在自体届かない人々、皮肉の前提にある価値観を全く共有できていない人々も大勢いるんだろうとは思う。

それにしても、文学賞の選定会議での白人による「もっとマイノリティの声に耳を傾けなきゃ!」は演出としてコテコテ過ぎるかな笑

最後、作品内の映画と重ねてオチを繰り返す描写も、それによって示される内容は相変わらずエッジが効いて楽しいんだけど、演出としてはなんか古臭い感じがして少し冷めてしまった。
ただ、アジア人の登場、その描かれ方には、唐突に自分ごととして提示されたような気がして、冷や水を浴びせられたような気分になった。
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