鶏

異人たちの鶏のレビュー・感想・評価

異人たち(2023年製作の映画)
3.8
『大林版との比較で観る「異人」のお話』

山田太一の小説「異人たちとの夏」を原作とした作品でした。原作小説は、1988年に大林宣彦監督が「異人たちとの夏」として映画化しており、本作の公開直前に大林版も鑑賞したので、同作との比較を通じてアンドリュー・ヘイ版の本作の感想を書いてみたいと思います。

まず大林版との大きな相違点は、1988年当時の東京を舞台にした大林版に対して、本作は現代のロンドンを舞台にしており、国の違い以上に時代状況の違いが作品にも反映されていました。また、主人公の中年男性が脚本家を生業としているところは共通していて、都会(東京とロンドン)のマンションに一人で住んでいるところも共通しているものの、大林版は妻と離婚した直後の状態だったのに対して、本作の主人公はゲイであることを隠して生きてきたという設定でした。ただ両者ともに都会で一人孤独に暮らしているという点は一致していて、これがこの作品群の重要な鍵であったと言っていいと思います。

さらに題名も異なっていて、本作には「夏」という言葉がなくなっています。これは原作や大林版が夏の東京を舞台にしていたものの、本作では夏のロンドンを舞台にしなかった、というか、季節感を強調していなかったことによるものだと思われます。別の見方をすると、ランニング姿で涼をとる文化がイギリスにはなかったということに尽きるということなのでしょう。

以上相違点を列挙しましたが、映画としての出来栄えは甲乙付け難く、特にロンドンの夜景をはじめ、映像は非常に綺麗で、アンドリュー・スコット扮する主人公アダムの孤独感とのコントラストが印象に残りました。また、大林版で疑問だった2つの点も、本作ではいずれも解消されていて、アンドリュー・ヘイ監督が私の声なき声を聞いてくれたのかと思ったほどでした。

具体的には同じマンションに住む恋人が自殺した下りについて、大林版では早々に発見されていて、恐らくは警察の捜査もあったと思われるにも関わらず、風間杜夫扮する主人公の原田が全く知らなかったことが極めて不自然でした。しかし本作では、主人公と恋人の初対面の直後という同じタイミングで恋人のハリーが自殺していたものの、直ぐには発見されず、しばらく経ってアダムが発見しており、矛盾が解消されていました。

もう一つ、これは大林版への疑問というよりもガッカリした点ですが、主人公の原田が、この世の人ならぬ”異人”である両親や恋人と接触を重ねるに連れて体調を崩して行き、最終盤ではホラーかと思うような特殊メイクを施しました。ところがこのメイクがイマイチで、怖いと言うよりも苦笑してしまう感じで、それまでの映画の雰囲気を損なっていたように感じました。その点本作では、主人公アダムの体調不良が強調されておらず、畢竟アンドリュー・スコットも特殊メイクを施されることはありませんでした。原作未読のため、最終盤のシーンが大林版のオリジナルなのか、原作を忠実に再現したものなのかは分かりませんが、2本の映画を比較すると、この点においては明らかに本作の方が上々の出来栄えになっていました。

両者のラストシーンも異なっていましたが、これは両者とも味わいがありました。アダムも異人になってしまったのかしらと思わせる本作の締めくくりも良かったですが、個人的には”夏”=”お盆”=”あの世の人との邂逅”という日本ならではの雰囲気を醸し出していた大林版にやや軍配が上がりました。まあこの辺は、文化的、宗教的な基盤が異なる国で制作されたので、致し方のないところかなと感じたところです。

最後に役者ですが、主人公のアンドリュー・スコットは、イギリスBBCのドラマ「SHERLOCK シャーロック」で、ホームズの宿敵・モリアーティー教授を演じていました。その際の薄気味悪く、ねちっこくも、どこかお洒落な演技が余りにも印象的で、本作を観ていてもモリアーティーが演じているように観えてしまいました。同作がNHKで放映された際は、村治学が吹き替えを担当していましたが、本作の吹き替え版を創るとして、村治学の声だったら笑っちゃうなと、勝手に想像したところです。

そんな訳で、同じ原作を持つ2本の作品を連続して堪能することが出来ました。そんな本作の評価は★3.8とします。
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