原作と大林版は未見。
私情を重ねてしまって、客観的に評価できないのでノースコアにします。
予想外に今年一刺さってしまった…なんかもうべしょべしょに泣いた…
2023年は『aftersun』と『フェイブルマンズ』がぶっ刺さってしまったんだけど、
あの頃の父親、母親が何を思っていたかとか、戻らないあの時間に思いを巡らす作品を観ると、心の柔らかい部分を刺激されて涙腺が決壊してしまう。
私の両親は健在ではあるけれど、別れてしまったので、
思い出の中の両親と同じ年になるにつれあのとき二人が抱えていた思いとかを今になって色々考えてしまうし、
何もできなかった自分も悲しいし、楽しかったけどもう戻らないあの時間が眩しくて、
私はどこかで喪失感や後悔をずっと抱えて生きてるのかもしれない。
本作はクィアや両親の喪失が描かれているけれど、孤独や後悔、心残りと向き合う物語なので、ある意味普遍的な物語だと思う。
アンドリュー・ヘイ監督自身がクィアとのことなので、そのフィルターを通して描いたのだと思うが、クィア要素を入れることで、孤独や両親へ打ち明けられなかった心残りを際立たせていたように感じた。
ラストに色々繋がったときにゾッとした反面、希望のある終わり方でもあるなと思った。
ここからはネタバレ。
原作と大林版は分からないが、
本作の英題は、『All of Us Strangers』とあるので、アダムも含めて異人たちということなのかなと思った。
序盤の火事のサイレンのシーンからも、火事で亡くなったようにも解釈できる。
だから、あのマンションに2人しかいないと感じるのかもしれないし、そのために両親にも会えるようになったのかもしれない。
ただ、ハリーの亡くなったタイミングが、アダムに一度断られた直後と考えると時系列が合わない気もするので、アダムとハリーが初めて会話したシーンでは、すでに2人ともこの世の人ではなかったのか。
初見で記憶が曖昧なところもあると思うので、もう一度見直してみたい。
アダムが父に対して「どうして部屋に入ってきてくれなかったの?」と聞いたシーンがあったが、
最後に、アダムは今度は自分がハリーの部屋に入ることでハリーを見つけてあげることができたし、
物凄く悲しい結末だけど、アダムもハリーの孤独を抱きしめてあげることができたんだなと、胸がいっぱいになった。