海

異人たちの海のレビュー・感想・評価

異人たち(2023年製作の映画)
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わたしはクィアとして生きてきて、それを自覚するまえにも自認するようになったあとにも、自分の考えや想いを伝えたりカミングアウトをした場面で、心地よく笑えていたことはほとんどなかった。「それを愛とは呼ばないと思う」「いつか治るはず(一緒に克服していこう)」「セックスが“できない”なら付き合ってる意味って何なの」「さみしくないの、子どもはほしくないの」そういった言葉ばかりが思い出される。わたしは大抵の場合、愛想笑いをしていて、それができないときは泣いていた。何年か前のある冬の夜、わたしにとってほんとうに特別で、ほんとうに好きだったひとが、わたしのとなりで寝ていた。夜中、苦しそうなうめき声を聞いて目を覚ました。こわい夢を見ているんだろうか。そうぼんやりとおもって、ほとんど何も考えず、体を起こして、そのひとの髪をそっと撫でた。親指でそっと触れた額は、寒い部屋だったのに、汗ばんでいた。この額の奥にこわい夢があるかもしれないことをおもうと、幼い頃に好きだった、わるい夢を食べにくるバクの話が思い出されて、あの頃わたしのところに来てくれたバクにわたしは今なっているんだろうか、と、考えたりした。ふたたび心地よさそうな寝息に変わるまで、やわらかい髪と熱い額を撫でつづけた。翌日、別れる間際に、そのひとはわたしに「きのうの夜、もしかして頭を撫でてくれた?」と聞いた。起きてたんだねと言うと、そのひとは慎重に言葉を選びながら、ゆっくり時間をかけて、すごくなつかしい感じがして目が覚めたんだ、と言って、そしてこういうことを言った、「あんなふうにさわれるのは、あなたがあなただからできることなんだろうね」。そのときも、わたしは咄嗟に愛想笑いをしていたような気がする。よくおぼえていない、笑えてすらなくて、かたまっていたかもしれない。わたしはその頃、自分がクィアであること、その中でもAceスペクトラムに当てはまることを、うっすらと気づきはじめていて、たぶんそのひとにも同じように、うっすらと伝わっていた。わたしはひどく孤独だった。そしてはじめてだった。ずっと“できない”と評価されてきた自分のその部分を、“できる”という言葉で表現されたのは、そのときがはじめてだった。今でもだれかに触れるたびに思い出す。ずっとわたしのゆびさきやくちびるはそんなふうになりたくて、それ以外の何かにはなりたくなかった。きっとこれからもそうだとおもう。わたしの前で泣いてくれたひとたちのかおを順番に思い出す。泣き出すほど心に近い話をしてくれたうつくしいひとたち。わたしももっとだれかの前で泣くべきだったし、泣けていたらよかった。これから泣けるんだろうか。そんな日がくるだろうか。ひとりでかくれて泣いたりしないでと、わたしがあなたにおもっているように、あなたもわたしに、そんな気持ちだったんだろうか。あなたを愛しいとおもうとき、わたしたちの居場所はこの星よりもひろく、わたしたちの時間は永遠よりもながく、わたしたちのすがたは海よりも波打ちどこにもとどまらず、そのためにいくらでもわたしは生きていたくなった。あなたのまとう灯りは星のようにあかるかった。いつかぜんぶ変わっていく、とうめいだったものの中身はすこしずつ見えなくなっていく。わたしはやさしさのほんとうの答えをいつも知りたかった、幼くもない老いてもいないほんとうのやさしさを知りたかった。ほかの何を忘れてもずっとここにいるあなたの、胸の奥のひかりに、ほおずりをする、午後の陽射し、濡れていく首と肩、やわらかい髪をほどいて去る風、このまま夜がきても離しはしない、こわれてくずれて目を閉じているあなたのすべてを元通りにするための抱擁。わたしはあなたに帰り、あなたはわたしに帰る。ただそれだけの抱擁。
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