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異人たちのbluetokyoのレビュー・感想・評価

異人たち(2023年製作の映画)
3.9
みごとに「異人たちの夏」だったな。実は、むかし過ぎてあんまりよく覚えていないのだが、片岡鶴太郎さんのいなせな親父さんはすごく印象的でいまでも覚えている。「異人たちの夏」の中では、たしか、父親の原田英吉の方が、主人公で息子の原田英雄より年下なんだっけ、それでも、いい父親振りだったりする。原田英雄は、最初は、妙だとは思うものの、なんか、むかし通りだし、当たり前に感じて、その世界に入り浸ってしまう。だが、その世界との別れがあり、それが本当に悲しい。

ただ、「異人たち」は「異人たちの夏」とは、結末が大きく違う。隔世の感がある。「異人たちの夏」が公開されたのが1988年。いまから36年前。結末の違いは、時代の違いによるものなのだろうか。「異人たち」を見て、「異人たちの夏」を懐かしく思ってしまったりする。「異人たちの夏」では、とりあえず、異人(幽霊のようなもの)から解放されて、現実に戻ってくるのだ。ああ、危ないところだったよ、というほっとした感が結末なわけである。ホラーものだよね。
「異人たち」では、もう現実には戻らない。主人公、アダムが異人であるハリーを抱きしめて終わる。

ペット・ショップ・ボーイズ、懐かしい。あと、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド。フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドと言えば、ゲイであることをカミングアウトしたことで有名だ。偶然に、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの曲を使ったのではなく、意図して使ったのだろうと思う。当時は、そういう時代だったのである(ボーイ・ジョージもいたし)。とはいえ、日常的に、あるいは、一般の家庭で、ゲイをカミングアウト、というのは、やはり、敷居が高かっただろうな。むしろ、いじめの標的にされていたはずだ。

そういう時代から30年ぐらい経った現在、いったい、どう変わったのだろう。なにを得て、なにを失ったのだろうか。
得たものは、より一層の、自由、刹那的な享楽、そして、気楽で居心地のいい一人暮らし。それと引き換えに、温かな人間関係は、より一層、失われたのかもしれない。ただ、30年前なら、そこから脱却する術があったのだ。それで、迂闊にも安心してしまったのだろうか。
いまは、一人の人間を取り巻くのは、荒涼とした身を引き裂かれるような孤絶した世界である。
つまり、孤独に陥ったとしても、30年前の「異人たちの夏」には、とりあえず、戻ってくる場所があった。だが、現代の「異人たち」には、もはや戻る場所はないのである。
いつの間にか、というか、気付いてみれば、というか、いまは、そんな侘しい世界になってしまったのだ。

それにしても、アダムの暮らす都心の高層マンションには、たった二人しか住んでいないのか。分譲マンションなんだろうけど、値段が高過ぎて誰も手が出せないのか、リモートワークなので、都心で暮らす必要がなくなったのか。
30年経って、誰も住まない巨大建造物を作ってしまうというのは、なんか、世の中、間違った方向に進んでいるのだろうな。
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