マバ

異人たちのマバのネタバレレビュー・内容・結末

異人たち(2023年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

「There's vampire at my door」

思考を文字化するのがとても不得意なのですけれど、やはりこの映画について今感じているなにかを残したいから意識の流れ的に思いつくまま書いてみようと思います。

二回鑑賞しました。一回目は公開した4/19に一人で、二回目は5/12にとても大切な友人と一緒に。

大学時代の仲の良い大好きな教授もアダムと同じくらいの年齢のゲイで、教授は若い頃に長年イギリスに住んでいたし教授の講義でエイズと政治や性的マイノリティなどをたくさん学んできたからアダムが直面している恐怖と葛藤、それからアダムとハリーの間にあった違う世代のゲイの微妙なジェネレーションギャップなどを理解するのにとくに困難はありませんでした。作中で違う人から発したgay(ゲイ)/queer(クェア)/homosexual(ホモセクシャル)との言葉は各々の複雑な背景や心境が表されていてとても重みを感じました。ちなみにわたしの教授もクィアがまだ侮蔑語であった頃にイギリスに住んでいたけれど、教授は今とても戦略的にかつ政治的にあえて「クィア」と自称しています(気分によってゲイと言っているときもありますけど)。

アダムにとって、愛することはエイズ(HIV)=死の恐怖が植え付けられたし愛して愛されていた両親も幼少期で亡くなってしまったから、愛は死に直結していました。だからアダムは自分と他人を愛することをわからなくなってきたかなと思いました。あとで挿入曲を調べてみたところ、アダムとハリーがパブに出かけるシーンに流されたBlurの曲名は『Death of a Party』でハッとしました。この曲と共に流された二人がソファでデリバリーを食べたシーンはなぜかとても好きでした。

アダムとハリーのそれぞれの孤独と苦しみも観ているとき、なんか自分自身の孤独と苦しみを凝視しているように感じていました。わたしはうまく自分を愛せないし人を愛せるかもわからないしジェンダーやセクシュアリティについて多く学んだのに親しい間柄の人にすらカミングアウトする勇気がないし孤独なのになぜか認めたくなくずっと背を向けていました。だからこの映画は自分にとってとても特別だなと思います。ハリーがバスタブの横でアダムのひたいをやさしくなでたシーン、怖がっているアダムがハリーの腕の中で号泣したシーン、エンディングのアダムがやさしくハリーを抱いていたシーン、これらのシーンを観てたときは急に自分は自分は今までの人生でこのようなことを他の人にしたことないしされた記憶もあまりないと気づいてしまいました。なんだか少しうらやましいな、と思いました(全部大好きなシーンになっています)。

一回目観たときは一人だったけれど二回目は友人が一緒にいて良かったです。大切な家族、友人、名前のつかない(いらない)関係の相手などととても一緒に観たい作品ですから。
その日の夜、いつも通りに一人暮らしの部屋に帰ったあと、なんだか窓から聞こえてきた風の音も通行人の笑い声や会話も車の音も電車の音も静寂もいつもよりさみしくなくなった気がしました。

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「I know how easy it can be to stop caring about yourself」
このセリフとハリーの表情はどうしても涙が堪えられませんでした。
マバ

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