ラウぺ

サイラー ナラシムハー・レッディ 偉大なる反逆者のラウぺのレビュー・感想・評価

4.4
1857年第1次セポイの乱の最中、ジャンシ―は英軍の包囲下にあり、2万人いた反乱の仲間は今や100人、それを率いる王妃のラニ・ラクシュミ・バイは戦って潔く死のうと話し合う闘志たちに向かい、「戦って死ぬとは何事、たとえ死んでも剣は置かぬ。死して初めてシバと並ぶと言うではないか」「今を去ること10年前、たった一人で反乱を始めた者が居た」と伝説の闘志ナラシムハー・レッディの話を始めた・・・

ナラシムハー・レッディはレーナードゥの領主の甥だったが跡継ぎの居ない領主の養子として育てられた。英国の横暴を知り、いつか反旗を翻すために、文武両道の研鑽を積み、やがて成人して領主となった。英国のマドラス総督コクランは税を3倍に上げ、その徴収のためジャクソン将軍を派遣してくる・・・
いやもうこれは完全に『RRR』と相似形で、対英独立闘争の闘志の大活躍を描く大活劇ですが、『RRR』のような主役同士の相克といった要素はなく、あくまで偉大なヒーローの大活躍に主眼が置かれているため、物語はシンプルに反乱の行方を追う展開となっています。
『RRR』でも英国の横暴は目に余るというか、やはり絵に描いたような極悪非道、暴虐の限りを尽くし、何か変な笑いが出てくるようなレベル。
あまりの酷さに『RRR』ではちょっとやりすぎではないかと感じましたが、本作を観るとこれはもう“お約束”としておそらくインドでは定番の描き方なのではないかと思われます。
特に本作では独立運動の始祖としての英雄譚であり、英国の暴虐ぶりは物語の設定として必要な要素なのだと理解します。

例によって物語は全てエンタメとして申し分ないレベルで見せ場に溢れていて、外連味たっぷりの登場人物のセリフや大見得を切る場面、大迫力の戦闘場面に印象的な泣きの場面など、トッピング全部載せ、つゆだく3倍特盛状態。
その濃縮度と充実感は『バーフバリ』や『RRR』と甲乙つけ難いレベルといえます。

ちなみにサイラーは「準備はいいか」といった意味の言葉らしい。
ロシア語の「ウラー!」などと同じく、戦闘時の掛け声ということでしょう。
ナラシムハー・レッディは実在の人物で、例によって映画を観るまでその生涯がどうなったかは調べちゃいけないのですが、反乱が徐々に拡大して英国との戦闘が激化してからの展開は予想以上に二転三転し、物語の展開から目を離せなくなります。
いかにナラシムハー・レッディが無敵の闘志とはいっても、強大な英国相手の反乱では少なからず犠牲を伴う。
その過程で仲間を失う場面では当然のごとく涙を誘い、その場面がまた美しかったりするので、ますます前のめりに引き込まれてしまうのです。

物語のクライマックスで大きな物語に終着点が決まるとき、冒頭のラニ・ラクシュミ・バイが兵を鼓舞するときのセリフのもつ意味がようやく理解され、大きく胸を打たれるのでした。
インドの独立は1947年であり、この後更に100年もインドの人民の辛苦が続く。
英国に対する憎しみは東インド会社がインドを支配して以来数百年に及ぶ苦難の延長上にあって、いささかマンガ的ですらある表現には大衆受けという要素とはいえ、手心を加えた表現に抑えることはなかなか難しいのだろうなどと思い至るのです。
各地で起きる反乱が抑えられ、闘志が次々に斃れても、それを受け継ぐことの大切さを前面に押し立てて訴えかけるこの作品は、そうした闘志の犠牲のもとに100年の後にようやく独立を成し得たインドの歴史の重みの上に成り立っている、ということでしょう。

映画はナラシムハー・レッディの物語の後、冒頭のラニ・ラクシュミ・バイの籠城の場面に戻ってきます。
圧倒的に不利な状況下で戦いに挑むラニ・ラクシュミ・バイと闘志たちの姿になんとも形容しがたい高揚感と共感がないまぜになって、エンディングの画面が涙で滲んでしまうのでした。
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