KnightsofOdessa

HereのKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

Here(2023年製作の映画)
5.0
パンフレットにバス・ドゥヴォスのキャリアを振り返る記事を寄稿しました!ぜひ読んでね!
この記事の副題も予告編に採用されました!推しの映画公開にここまで関われるなんて!ありがとうございます!

[ベルギー、世界と出会い直す魔法] 100点

人生ベスト。2023年ベルリン映画祭エンカウンターズ部門選出作品、作品賞受賞作品。Bas Devos長編四作目。上映前メッセージでは"間違えて車から投げちゃってインカメ壊れちゃったんだ~"と謎のお茶目さを披露しながら、苔についてアツく語っていた(こんな人なんだ)。物語はブリュッセルに暮らすルーマニア人建設労働者ステファンの日々を追っている。夏季休業によって4週間の休暇を言い渡された彼は冷蔵庫を空にするためスープを作り、世話になった人や友人たちに配り歩く(エンドクレジットにはスープ担当が載っていた!)。そして、不眠症の彼は昼間はもちろんのこと、夜中でさえ街に繰り出し、様々な出会いを経験する。彼にとっては今生の別れかもしれない瞬間は、我々にとっては彼らに初めて出会う瞬間でもあり、正しく前作『Ghost Tropic』の後継のような作品だ。特にルーマニア人コミュニティの優しいボスのような自動車整備工場の親方(親戚?)とその従業員たちとのシーンはどこも素晴らしい。川辺でスープを食べながら駄弁るシーンは独特の寂寥感があり、彼らと別れるシーンでは向こう側に歩いていく一行に対して、ステファンはこちら側に歩いてきて、すぐにトンネルに入って表情が見えなくなる。また、市内の病院で働く姉に会うシーンは、ここでも艶やかで柔らかな光に包まれていて、定まらない未来を姉にだけ伝えるステファンの決断を優しく支えているようにすら見えてくる。『Violet』のように、彼を包み込む空間を見せることで、そこに感情を纏わせ質感を与えているのだ。

映画にはもう一人の視点人物がいて、それが中国移民二世の苔研究者シュシュウである。彼女によると苔は"微小な森"なんだそうだ。気付かないだけでそこら中に生えていて、人間の時間を超えてこの場所(Here)に生え続ける、と。そして、まるでステファンの夢が導いたかのように二人は再会する。アレクサンドル・コベリゼ『見上げた空に何が見える?』のマジカルな冒頭のときめきを、まるで二人と共に味わうかのように持続させ、それを森という静かな空間に纏わせて、、苔(それは同時に"微小な"森でもある)のように、目を向けてなかっただけでどこにでもあったかもしれない瞬間(そして実際に描いてきた出会いの瞬間)すらも想起させる。なんて素晴らしいんだ!ここでは『Violet』に登場した、あの物語性のある長回しが印象的に登場する。シュシュウと話して別れたと思わせながら、角を曲がったら彼女が先に歩いているというシーンだ。これは後に逆の立場で繰り返され、二人が今の状況を同じ目線で追っていることが明示される。

ステファンは自分のいる場所、つまり"ここ"を定められたのだろうか。この言葉は、ステファンの見たブリュッセルの欠片、そしてカメラが眺めたブリュッセルの欠片(或いはシュシュウの見たブリュッセルの欠片も含まれるかも知れない)を全て包含した、自分の外側に広がる世界との関わり合いそのものを指しているように思える。"ここではないどこか"ではなく、まさに"ここ"が君のいる場所だ、とでも言わんばかりに目の前に世界が開けていくような、魔法のような映画だ。
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