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ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

3.5
【中央アジアの巨匠たちが出演する異色日本映画】
年末の追い込みに何を観ようかとFilmarksを観ていたら、キルギスの映画監督アクタン・アリム・クバトが出演している謎の日本映画を見つけた。しかも、彼だけでなくカザフスタン映画の巨匠ダルジャン・オミルバエフや『アイカ』でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞したサマル・イェスリャーモワまで出演している異常事態だ。そんな異色作『ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代』を観てきた。

本作は事前情報以上に異様な作品であった。大きく分けてふたつある。ひとつ目は、流刑での生活を比較的ポジティブに描いているのだ。第二次世界大戦直後、家族を探しに樺太へ渡るも、ソ連当局に捕まりカザフスタンへ飛ばされる。少しばかりのロシア語しか分からない状態でのサバイバル生活は壮絶なものだと誰しもが想像する。しかし、実際の三浦正雄は異郷での生活に順応し、3年間の強制労働では毎年優秀な労働者として表彰され、15歳になるとそれなりの金を稼ぐようになりオートバイを乗り回していたとのこと。カザフスタン、ソ連にたくさんの友人を作ったたくましい人生を送っている。そのため、映画もあっさり環境に適応し、淡々と労働を行う様子が映し出されている。そこではアクタン・アリム・クバト演じるおじちゃんとのやりとりも描かれるのだが、沼を使った長回しが強烈かつ、三浦正雄の粘り強さを象徴するような場面となっている。

沼地におじちゃんと三浦が入る。おじちゃんは易々と沼地を踏み歩いていくが、子どもである三浦にとって沼は重しとなる。一度ハマったら足がガッチリ固定されて前へ歩けないのだ。おじちゃんは決しておんぶをするようなことはしない。軽く助けるだけだ。ようやく、この沼地の攻略法を見つけていく三浦。おじちゃんの轍に足を入れていくことで難所を切り抜けていく。この場面に長い時間を費やしており、観るものはヒヤリとしながらも彼に手を貸せないもどかしさを抱きただただ事の顛末を見守ることとなる。

ふたつ目の異様さとして、エンドロールの後に第二部が始まるということだ。冒頭に第一部とテロップが表示されながら、最後まで次の章にシフトしない。途中ウトウトしていたこともあり、観逃したかと思っていたら、エンドロールの後に次の章がくっついていた。しかも、この第二部はドキュメンタリーとなっており、昨年10月に亡くなった三浦の代わりに遺族が彼との思い出を補足する内容となっている。DVDの特典映像のようなものがくっついていたのだ。このスタイルの映画は初めてかもしれない。事前情報がなかっただけに衝撃を受けた。

P.S.アクタン・アリム・クバト監督は『父は憶えている』を撮った後に、本作に関わっている。この時点で、彼は燃え尽きており、映画監督として作品は作れないかもしれないと思っていた。しかし、『ちっちゃいサムライ 三浦正雄の子供時代』で演技をする中で、映画に対する情熱が戻ってきて、再び映画を作ろうと立ち上がっているとのこと。
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