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恋恋風塵(れんれんふうじん)のgenarowlandsのレビュー・感想・評価

3.9
ホウ・シャオシェンの青春4部作の最後はしょっぱかった。炭鉱の村の幼なじみの淡い恋。タイトルは『手紙』でもよいような。台北に働きに出て兵役に就いて、起伏なく描かれているけれど、純情な二人には村を出ることだって、勇気の要ることだった。刺激のある映画は現実には体験できない感動を得られるが、こういう静かな日常を淡々と撮る作品を最近は好んで観たいと思う。郷愁なのかな、とも思う。故郷もないのに。ゆっくりと時間が進んで、小さなことに一喜一憂した時代への郷愁。そんな時代は生まれてからなかったはずなのに、今をまるで仮の姿に思える、置き去りにしてきた思い。1960年代の台湾、異国なのに懐かしい。

主演のアワンの口数の少なさは手紙になると多弁になる。ここでもトリュフォーの『大人はわかってくれない』のアントワーヌを思い出した。直接口にできない思いを文字にしたため、文学に浸り、夢想する。

女性はここぞという時に言葉がほしい。形にしてほしい。奥ゆかしいアフンが勇気を絞って気持ちを形にしても、アワンは一歩を踏み出せない。少女のままのアフンの清らかさはアワンにとってそのままにしておきたい永遠の人。壊したくない幼なじみの妹のような存在。ずっと平行線。

時々流れる音楽は沈黙する二人の隙間を埋める短調。沈黙の余韻で、アフンは失望し、アワンは変わらないことに安堵する。

登場人物がまるでドキュメンタリーみたいに自然な演技だった。昔こういうおじいちゃん町のあちこちにいたなって思い出した。戸口に座って道行く人に大きな声で話しかけていて。とっくに息子の代なのにいちばん強くて声が大きい。ランニング姿で歩いてた。
素人かもと思ったアワンのおじいちゃんは人形劇の人間国宝級名人だった。どうりで自然な演技と話し方だった。

沈黙の余韻。飲み込んだ言葉の数だけ余韻が続く。


広場にシーツを張って村で映画会を開く。ストライキする父親たちにオーナーは停電させて仕返しする。映画もいいところで終わってしまう。
炭鉱に続く引き込み線は廃線のようだった。
若者は台北へ行き、時間は止まらない。
良き幸せな時間は風とともに散っていく。
郷愁だけが時間を止めて。


📖ビン南語

台湾の言葉はこんなに柔らかかっただろうか。イントネーションが少なくもそもそ発音する平坦な日本語みたいで、意味はわからないのに、表現の仕方も、何もかも異国に思えない。何作か台湾映画を観ているのに、初めての印象。気になって調べたら、内戦で中国本土から台湾に移住した人々(外省人)とそれ以前から台湾に住んでいた人々(本省人)は日常で使う言葉(中国本土南部の言葉、ビン南語)が違い、日本語の発音に近いそう。外省人のホウ・シャオシェン監督は初めて本省人の言葉(ビン南語)で本作を作ったという。日本語の特徴でもあるオノマトペも使われていて、故郷への恋しさが募った。
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