くまちゃん

勝手にしやがれのくまちゃんのレビュー・感想・評価

勝手にしやがれ(1960年製作の映画)
3.6
1960年代後半、フランスでは女性の権利と地位向上、人工中絶の合法化、家父長制や性役割からの開放等、女性の解放運動が活発だった。
五月革命が起きたのは1968年だが女性民主主義運動(MDF)が結成されたのは1962年。つまり今作公開当時は世界の関心がフェミニズムに向いており、フランスもその渦中にあった。
ミシェルとパトリシア。ステレオタイプなマッチョイズムと自立を目指す近代的女性像という二人のキャラクター性は社会へ対する問題提起のようにも見ることができよう。

映画の革命児ジャン・リュック・ゴダールはジャンプカットを多用したその斬新な編集技術で後世に多大な影響を与えた。既存の映画というルール、その破壊と再構築を試みたフランス映画のアンチテーゼとしてヌーヴェル・ヴァーグ、「新しい波」が到来する。

無軌道かつ奔放で刹那的な青年ミシェル。犯罪への抵抗がない希薄な倫理観。女性を求める忠実な欲望。その性質はまさに破滅的。
冒頭の車中でミシェルは不自然なほど自分を語り、パトリシアへの愛を語る。
だがそれは独り言ではない。全ては観客へ向けての言葉。次の瞬間ミシェルはカメラ目線でこう続けるのだ。
君がもし海も山も街も嫌いなら勝手にしやがれ、と。
メタ的演出は「気狂いピエロ」等の他作でも見られる。

パトリシアを演じたジーン・セバーグは当時の映画スターとしては珍しいベリーショートで、そのヘアスタイルはセシルカットとして流行した。
役と同様、ジーン・セバーグは未来を見据える女性だった。公民権運動や反戦運動、黒人民族主義運動などに傾倒し、積極的サポートを行った。
しかし、FBIにマークされ、妊娠の際には婚外子(ブラックパンサー幹部の子)であるというフェイクニュースを流される。
やがてセバーグは流産し、自身の潔白を証明するため記者会見では妊娠中の胎児の写真を公表するに至る。
産むことが出来なかった我が子をメディアに晒さなければならなかったセバーグの心情は到底計り知れない。

いつの世も新しい時代を築こうとすれば弾圧される。多くが不満を持ちながら現状維持に甘んじる。それに従わなければ異物としてブラックリスト入りし排除されるのだ。

ゴダールも新しい映画時代を築いた。
商業映画との決別を宣言したり、
カンヌ国際映画祭を中止に追い込んだり、その一つ一つが映画史の中の重要事項である。

前衛的で革新的で芸術的、フランソワ・トリュフォーを持ってして天才と言わしめたジャン・リュック・ゴダールの伝説はここから始まる。
自死に関して安楽死を選択したのも刹那的で破滅的なゴダールらしさと言え、映画史に燦然と輝く「新しい波」は一つの区切りとしてこの時代の名がジャン・リュック・ゴダールであると宣言するのだ。
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