Jeffrey

メイド・イン・ホンコン/香港製造 デジタル・リマスター版のJeffreyのレビュー・感想・評価

4.5
‪「香港製造 メイド・イン・ホンコン」‬

〜最初に一言、香港映画の傑作。英国インディーズ映画を代表する青春映画をはるかに超えて香港インディーズの存在感を世界に認めさせた伝説の作品である。瞬く間にセンセーショナルな話題をかっさらった映像と音楽のフュージョン…「トレインスポッティング」「憎しみ」「kids」「キッズリターン」と並ぶ90年代最高の青春映画だ。中国返還を受けた若者たちの栄光の裏に隠れた光と影、表と裏。そのやるせないストレスを見事に1本の作品に注ぎ込んだ溢れ出すエネルギーと表現力、毛語録の余韻が何とも言えない気持ちになる。スポーツ刈りのヒロインとハリネズミの髪型のヒーローをこの目に焼き付けた。傑作〜

‪本作はフルーツ・チャン監督の返還三部作のー作目で、香港を舞台とした青春映画をこの度久々にBDで見返したが傑作。とても好きな作品である。今のウクライナ情勢を踏まえて支那大陸で起きた事件も振り返えつつ再鑑賞した。この作品はインディペンデント映画としては最高部類の作品だと思う。低予算ながらに、街でスカウトした青年を主人公にして、ロカルノ国際映画祭審査員特別賞、ナント三大陸映画祭グランプリ、香港電影金像奨最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀新人賞を受賞したもので、数年前に四Kレストア・デジタルリマスター版が発売され初鑑賞をしてから気にいっているー本である。確かアンディ・ラウがエグゼクティブプロデューサーをしていたと思う。

この作品はよく学校の給食でフルーツポンチを楽しみにしていた自分にとって、とてもキュートな監督の名前だなと思いながらも、従来の香港映画のイメージとはおよそかけ離れた香港生映画の誕生は記念すべき九十七年七月の中国返還を目前にした香港映画界にとって、強烈かつ衝撃的な事件だっただろう。その衝撃度は、ある意味で八十年代前半の香港ニューウェーブの作品。「欲望の翼」や「恋する惑星」でのウォン・カーウァイ・ショックを超えていると言えるではないだろうか。今までとは違うアプローチで、香港の若者たちが直面している問題と向き合い、おそらく香港映画で初めて、香港のリアルの今を描くことに成功した、香港のダウンタウンに住む不良少年の青春物語の誕生だと言える。シリアスな問題を真正面から描いた作品が好きな人にはまず見て欲しい。

過去の香港映画の中にも色々とシリアスな作品はあったものの、街の不良少年たちを出演させる作品の中で個人的にはこの作品がものすごく上位に来る。かつて香港は活気に溢れていたが、今は中国共産党のものになってしまい、可能性に満ちたエネルギッシュな都市の代名詞は消え去った。悪く言えば極端な個人主義と金儲け至上主義の街の歪みもあったものの、今となってはその夢が一夜にして消えてしまったような無力感に覆われたネガティブな都市香港として存在している。そこに住む人々の心情を描き込む作品も今後作られていくことだろう。ぜひともフルーツ・チャンに作って欲しい。見えない未来、崩壊する家族、香港人としてのアイデンティティーの喪失、コミュニケーションの不在から来る孤独感、蔓延する社会的不公平、生き続けることに意味を見出せなくなった若者達は当然のごとく、彼らの特権のように自ら死を選ぶ…。あの雨傘運動ももうすぐで十年になる。時の流れは誠に早く感じるものだ。

これからも香港は巨大な不条理に対する彼らの最大の抵抗がなされていくだろう。ウクライナもそうである様に、次は台湾情勢がどうなるかがまことしやかに心配である。この作品は商業至上主義の香港映画の時代に、人気スター俳優を一切使わずに、若手で挑戦をしたのも監督の偉業である。有名俳優を一切使わず、リアリティを追求しながらも、監督が登場する少年少女を突き放すことなく、センチメンタルなまでに徹底的に感情移入して暖かく見守る。その結果、ともすれば殺伐とした実録不良少年映画になりかねない題材を見事にまとめている。羽仁進監督の「不良少年」や途方に暮れるカップルを描いた「初恋・地獄篇」を思い出す。自殺で言えば北野武監督の「HANA-BI」も挙げられる。従来の香港映画を過去のものにしたこの作品こそ、中国語映画に偏見を持っていた映画ファンのみならず、長い間香港映画を愛してきたファンが待ち望んでいた作品ではないのだろうか。

この作品の成功で、香港映画はアクションだけではなく、作品的にもトップレベルに成長したと認められるし、超低予算のインディペンデント映画でここまでの傑作を作れると言う若手監督やこれから映画を作っていきたいと思っている人たちにとっては勇気そのものだろう。この無名の役者からサム・リーと言う次世代の香港映画をリードするスターが生まれてしまったのが唯一の皮肉だろう(いい意味で)。ところで、本作の主演を務めた七十五年香港生まれのサム・リーは、街でスケートボードをしているところを監督に見出されて本作の主役に抜擢し、初映画主演にもかかわらず国内外の映画祭で高い評価を受けて若者のファッションリーダー的存在になり、日本でも当時確か雑誌のポパイの表紙を飾っていたと思う。

金城武に次ぐ新世代スタートして紹介されていたのが懐かしいが、今彼は何をしているのだろうか…。ペン役の個性的なヘアスタイルをしていたネイキー・イムは、確か、この作品の後映画出演の誘いがいくつかあったが、すべて断り、服飾デザイナーを目指したそうだ。確かマドンナ主演の「エビータ」がすごく好きと語っていた様な…。この作品はキタノブルーばりの青みがかった基調になっているが、これは期限切れのフィルムを使ったために、品質コントロールが難しくて、色の設計が不可能だったためだ。しかしそれがいい結果をもたらしたのは、監督も神に感謝していると話していた。そもそも二人のカメラマンはまったくの素人だったらしくて作曲を担当した人もギターを弾けるだけだったらしい。そしてこの作品には野外の夜のシーンがないのは、照明用の発電機を借りるのに大金がかかったからだそうだ。

スタッフは五人だけで、ロケのときには機材を積んで、車でセットして、またばらしての繰り返して本当に大変だったとか…。それと後に感想を話すが、この映画の最も強烈で印象的だった主人公の青年が拳銃を手に入れて踊る場面は、とある人物がテープを持ってきて、その音楽を売り込みに来て、監督が聴いてみたらすごく良かったため、その場面に使用したとか…。前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。オープニング・クレジットから始まり、公園のコートでバスケットをしている少年たちが写し出される。そこに主人公のナレーションがかぶさる。俺の名はチャウ…と続き、中卒だ。勉強は嫌いだし、出来も悪かった。これは教育制度が悪いからだ。そのおかげで進学できない若者が大勢いる。やることといえば、公園でバスケをやるか、喧嘩に加わるかだ。続いて少年3人が画面上に現れる…。

さて、物語は一九九七年香港。チャウは、下町の老朽化した低所得者用公団に住む少年。父親は家を出て、スーパー勤めの母親と二人暮らしだった。中学卒業後、借金の取り立ての手伝いをしている。仕事はもらうが組織には属さない。一匹狼の身分に誇りを持っている。弟のロンは知恵遅れの少年。チャウが守ってやらないと、白い制服を着た金持ちの高校生にいじめられる。いつものようにロンと一緒に行った取り立て先で、チャウは十六歳の少女ペンと出会った。ペンの父は借金を残したまま行方知れず、彼女もまた母と二人暮らしだった。ペンのすらりと伸びた脚を見たロンは鼻血を流してしまい、取り立てが失敗に終わった。その時から、ロンの鼻はペンが近づくだけで敏感に反応して鼻血を出すようになった。

ある朝、ロンはビルの屋上から飛び降り自殺した少女を目撃、血に染まる二通の遺書を広いポケットに入れた。その直後、彼は白い制服の高校生に捕まって袋叩きにあった。ポケベルの知らせで現場に急行する街中で、チャウは父親の姿を見つけ、尾行した。彼の父は大陸から来た女と同棲して子供までもうけていた。怪我をしたロンを病院に迎えに行ったチャウは、看護婦からロンが持っていた二通の遺書を手渡された。帰りかけて、ふと見ると、待合のベンチにペンの母親が座っていた。ウキウキした気持ちでペンに話しかけたチャウは、ペンの母親から激しく叱責されてしまう。自殺した少女が残した遺書を家に持ち帰ったその日から、チャウは毎日その少女サンの夢を見た。サンが何か訴えている。夢の後には決まって夢精し、自分でパンツを洗った。

街に出たチャウは仲間のクンに呼び止められて車に乗り込んだ。クンは、チャウとその仲間に近づいて、何かと面倒を見てくれる福祉課の民生委員、美人のリーさんに求婚してオッケーをもらったのだと言う。クンは今、定職に就いていた。その上リーさんの勧めで臓器提供のドナーになっていた。臓器提供に関するパンフレットを渡され、説明を聞いたチャウだが、自分とは全く関係のない世界のように思われた。そんなある日ペンが突然チャウを訪ねて来て言った。友達になって欲しいの…。取り立て家として会ったチャウに憧れを抱き、心を開いたのだった。チャウ、ペン、ロンの三人は、走って逃げた。全力で走ったと胸を抑えて苦しむペン。チャウは、初めて彼女の体の異常を知った。彼女は重い腎臓病におかされていた。腎臓移植をしなければ、命は長くない。

クンのくれた臓器提供のパンフレット思い出し、チャウは申込書に必要事項を書き込んだ。自分のり腎臓が役に立つのだったら、彼女にあげたいと思った。彼は彼女を愛し始めていた。チャウがペンの家を訪れている時、たちの悪い取り立てや、デブのチャンが現れた。借金の代わりに娘をよこせと母親に要求するチャンを、チャウは追い払った。彼は、ペンの家の借金を自分の手で返してやりたいと思った。母親の蓄え二千香港ドルをくすねた。それがきっかけになって、母親はチャウを捨て、家を出た。ロンが住み着いているものの、身内に見捨てられた寂寥感が彼を襲った。すべては自分を捨てた父親のせいと思い込んだチャウは、父親に服従するために包丁手に街へ出た。

しかし、白い制服の高校生が、妹をレイプしたと言う自らの父親の腕を切り落とすのを目撃して、その気持ちは急速に萎えてしまった。母親を捜し求めて途方に暮れるチャウ。家に帰ると、はやしたてる金持ちの住む高級マンション街が窓から輝いて見えた。夜、泣いた。ペンが入院したことを知って、チャウとロンは病院に見舞いに行った。チャウはペンを病院から連れ出し、高台の墓地に向かった。三人はサンの墓を探しながら、大声で彼女の名を呼んだ。広々と開放感のあるその墓場は、本当に天国に続いているように感じた。ペンがチャウにささやいた。私が死ぬ時抱いてね。二人は初めてキスをした。ペンの父親の借金と彼女の手術用のため、チャンは、ボス、ウィンにかねてから言われていた、ウィンと敵対する大陸から進出してきた男の殺しを引き受ける決意をした。

ペンのために初めてウィンから拳銃を受け取った。そして、恐怖におののきながら興奮し酔いしれ、ヘッドホンから流れるボリュームいっぱいの音楽を聴きながら一人踊り狂った。殺しは失敗に終わった。初めて経験する殺人の恐怖に、引き金を引けなかった。その晩、またサンの夢を見て夢精した。突然、チャウはスケボーに乗った少年に襲われた。ドライバーで何度も何度も腹を刺された。デブのチャンの差し金だった。ペンの母親は、瀕死のチャウ腎臓を娘のために提供するように医師に懇願した。しかし、まもなく彼は奇跡的に危篤状態を脱した。数ヶ月後、退院した彼はペンとロンの死をした。ペンはチャウの入院中、様態が急変し、ロンは麻薬運びの途中、ボスのウィンに無惨のな殺され方をした。チャウは自分を殺そうとしたチャン、ロンを殺したウィンへの復讐のため再び拳銃を手にした。

まずウィンを、続いてチャンに拳銃を向けて引き金を引いた。数日後、サンの遺書が両親のもとに郵送された。差出人はチャウ。遺書の中には、ペンそしてチャウの最後の言葉が書き添えられていた…と、がっつり話すとこんな感じで、狭い部屋に五、六人で暮らしている団地の子供たちの息苦しさをうまく描いており、犯罪組織に入って、大人たちが早く稼ぐ手口をその子供たちの手足としてコキ使ったり、経済的、構造的な変換が家庭に与えた衝撃もメッセージとして組み込まれ、経済が転換期を迎え、多くの工場が中国に移転して、父親は中国に行って仕事をして、不倫も増え、家庭が崩壊し、それが若者の非行の原因になっていき、少年たちは将来の事など考えられず、白紙状態になり、大胆にいろんな悪さをしてしまう、日本で言うなら「積木くずし」のような感じだ。この作品はわりかし監督の若者に対しての辛辣なイメージと文句が綴られているような感じがする。

それに三人の主役のペンとロンにはメタファーとして感じられる立ち位置がある。返還の日付が歴史的な事実として、知恵遅れの子より今生きる若者の自己中心的な若者の方が確実にひどいと言うこと等…彼の次回作「花火降る夏」も若者も更に批判していたし…。実際に監督も、ここの作品を見て香港のチンピラたちが反省することがあれば、この世の中も平和になるだろうと話していた。ここからはこの作品の印象的な部分を話していきたいと思う。この作品冒頭の金網のショットからものすごく引き込まれる。なんてことないバスケットボールのシークエンスまでもがノスタルジックに感じてしまう。映像が荒くて(中古のフィルムのせい)…。サンが飛び降りるシーンはとにかく青の基調がすごい。それとそれぞれの部屋にハリウッド映画のポスターがあるのも良い。

例えばガス・ヴァン・サント作品のリヴァー・フェニックスとキアヌ・リーヴス主演の「マイ・プライベート・アイダホ」だったり、オリバー・ストーン監督の「ナチュラル・ボーン・キラーズ」だったり。それから当時の香港の雰囲気などが全体的にアンニュイ。懐かしの鉄拳などのゲームセンターのシーンや瓶ビールの瓶で頭(血糊つき)をかち割ったり、昔ながらの小道具が使われていたりノスタルジーである。それからロンがトイレで白い学生服のチンピラにいじめられているシーンとか見ると、彼自体、もともと役者をやるつもりはなくて、人集めで演じているから、あの場面は嫌だったのかなあとか思っちゃう。ケツ出して、パンツ見られて、ボコボコにされる場面なんて…。林華全のGun Danceがかかる場面の狂気じみた雰囲気は最高すぎる。

拳銃で食べ物を刺して食べたり、映画「レオン」のポスターを紅いライトで照らされたりと、すごく不気味である。それからチャウが拳銃を持って〇〇をするシーンのスローモーション撮影やカットバックの連続、音楽が微妙に変化していたり、列車の頭上ショットとの重ね合わせ、カメラのアングルが散乱する演出などを最高すぎる。すごくアバンギャルドだ。チャウの極端までのバスト・ショットからのフェイス・アップに至るまで贅沢だ。それから団地の中の廊下でスケボーやる白いワイシャツの少年が〇〇する場面で、ゆっくりと彼自身がフェイド・アウトしていくシーンがあるのだが、その時の左右シンメトリーの廃墟と化した廊下がゆっくりとライトアップされてゆくのがとてもかっこいい。その他にもあの団地の上からブラウン管テレビを落として木っ端微塵にする場面も、あの高さから落とせばあーなるんだと証明できる(笑)。

そしていよいよクライマックスになって、〇〇による〇〇への復讐が始まって、兄貴分を〇〇するシークエンスは、一瞬静止画になって、人を殺しても罪にならない場合って何なんだと仲間に問う際に、戦争じゃないかと言われた瞬間に耳から受話器を離して、思い詰める瞬間がすごく個人的には好きだった。そうしてサンが飛び降り自殺したのに対して、共感する場面も、当時の香港情勢(若者の)が映されていてよかった。その後からはまた冒頭の下りのように主人公の青年の1人称に戻り、詩的に語られていく…。そしてクライマックスまで紆余曲折あり、最後に手持ちカメラでシンボリックな団地の廊下を揺れながら捉える画とナレーションが余韻を残す。その後に写し出される壮大な墓場は実相寺昭雄の「哥」を思い出すのと、最後の北京語による女性の言葉が全てこの物語を集約していてすごい衝撃を受ける。イギリス領香港ではなくなるのだ…ホンコンは…もう中華へと変わるのだ…。

この映画の面白いところは非常に東洋チェックであると言うとこだ。アジア感満載のプロローグから目が離せなくなり、活劇じゃなくてキャラクターの激情が噴火するようなリアルな乱闘場面がいくつもあって、これはまた新しい香港映画の波が来たのではないかと思わせるようなそんな、不良少年の生命力あふれる作品だった。香港映画=カンフー的な固定概念を無くした映画でもあった。この手の評価の高い作品の主人公は大抵今までに演技経験したことのない若者が起用されて、それがすごく映画を前進させることが多いのだが、この作品もまさに主役のサム・リーが素晴らしかった。悲惨な脚本になっているが、どこかしらアバンギャルドで実験的で突き抜けた感じがして面白いのだ。

今思えば監督はこの映画の内容は香港の中国返還がきっかけになって作ったと言っていたから、当時彼がインタビューに答えていたことを思い出すと、香港人はすごく恐怖に怯えていたそうだ。自由な生活を送ることができた香港が、社長交代みたいな形で中国政府がやってきて、これまで中国がしてきた事はあまりイメージが良くなかったため、こういう感情を映画で取り上げれば面白いんじゃないかと思って作ったそうだ。ちなみに、アンディ・ラウの会社が制作を中止することになって、残っていた四万フィートのフィルムをもらったことによりこの作品が作れたらしい。これが返還までの最後の世代として、作り上げる必要を感じた作品だと思うが、中国は香港にご存知の通りあの様なひどいことをしてしまったので、その未来を知っている中、この作品を再度見ると色々と辛くなる。

だから返還による社会変動にー番影響される大人ではなく、子供たちを主人公にしたんだと思う。これまでの香港には、子供たちを題材にした作品があったとしても、抱える問題を追求した作品はほとんど皆無だったと思われる。団地(この作品に出てくる団地はフォトグラファーの中では超有名なスポット)で育った子供たちや、社会に忘れられた人々、当時数多く報道された自殺の事件を味付けのテーマのーつにして何故香港人が自殺するのか、香港の自殺率は当時では世界で一、二位を争っていたそうで、最近は地下鉄への飛び込み自殺が増えていたが、確実に死ぬんだったら飛び降りだーと監督がインタビューで答えていた事を思い出す。香港の青春映画は九〇年代以降、様々なバリエーションを持ち始めて娯楽に徹したラブロマンスは王道だったが、同性愛やエイズの問題など、社会への問題提起を投げかける作品も多く登場してきたのか私の生まれた九〇年代である。

この時代の香港と言うのは、栄光に輝いていた反面、裏と表、光と影の部分があり、過度のコマーシャリズム、高級ブランドで身を飾る人々がいる中で、貧困に喘ぐ人々もいる。そんな香港の光と影を見事に描いた作品でもある。暗く絶望的で救いがないそんな若者たちのストレス発散はどこに行くのか、底辺の若者たちを見事に映した香港映画だ。チャンはこの作品の青年を主人公にした物語を作り、次回作で成人の主人公にしたり、その次には童年を主人公にした作品を作っている。いわゆる三部作の第一作になるのだ。とりわけ本作はストーリーは暗く絶望的で救いようがないが、三人の主人公がどんなに最悪の状況下に置かれても、愛や夢に対して純粋でいられる態度を常に観客に見せているため非常に感情移入できる。確か予算がなかったからほとんど自分たちの私物を使ってやっているとサム・リーが言っていたので、この作品の洋服は全て彼の私服なんだろう。


長々とレビューしたが、まだこの作品を見てない方はお勧めする。フィルムに焼き付けられた香港の複雑な家庭環境で生まれ育った少年少女の純愛物語を映し出した誠に衝撃的かつスタイリッシュな映像と音楽の融合を体感してほしい。全てが素人で、新人監督による最初にして最高傑作だと思う。ちなみにこの作品を観るなら、発売されている四Kレストア・デジタルリマスター版でお勧めする。これはイタリアのウーディネ・ファーイースト映画祭のオーガナイザーであるサブリナ・バラティが、香港映画史を代表するー本として選定したフルーツ・チャン監督と撮影を務めたシンプイ指揮の下、三年の歳月をかけて制作されているからだ。返還二〇周年にあたる七月ー日からリバイバル公開されたこの地球上に存在する最も美しい映像になっている。ネタバレになる為、語れないが、主人公全員が〇〇を遂げると言う壮絶な作品でもあった。メイドイン香港のドラマツルギーの支配は全てが逆説である。あのセメタリーのシークエンスを見ると、香港を守るために命を落としていった若者たちと重なってしまう。未来ある主人公が墓場の前で〇〇の状態で発見されるのもまるで今の香港の現状を予知していたかのようだ…。


最後に余談だが、ロン役のリーはもともとスクリプターだったのだが、ダウン症の人たちが働いている工場に監督が行って探したが、誰も承諾してくれなかったから、リーを抜擢したのだが、断り続けて最後に君が出てくれないと映画が撮れないと話したらようやくオーケーを出してくれて、彼を実際に知恵遅れの子の行動を観察してもらって、映画では演技と言うより自然な感じでやってもらい、おかげでこの映画ができたと監督は話していた。今のハリウッドでは、特別支援者を役者が演じる事はタブー視されてきてて、今公開中の確かミュージシャンのシーアの初監督作品も論争に巻き込まれていたのは、自閉症だったか、とりあえず障がい者を使わずに役者に演じさせたから批判の的になっていた。なんとも作りにくい世の中になってきたものだ。
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