小径

ありふれた教室の小径のレビュー・感想・評価

ありふれた教室(2023年製作の映画)
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試写会で鑑賞

信じないわけにはいかない。それが揺らいでしまったら、全部が壊れてしまう気がするから
それが事実でないとわかっていても信じないわけにはいかない
映画では彼女の生徒たちを信じる視点にフォーカスされているけれど、登場人物一人一人が家族を、友達を、信条を、ひいては今いる場所、そして自分自身を、自分の存在を保つために誰もが、信じなければならなくて。それを疑った時、自分の存在をどう見い出せばいいだろうか。

ひとつの正しさなんてきっとなくて、誰かの正しさは避けがたく誰かを傷つけてしまう。それを心で感じていた上で、信じたい、信じなくてはならない、そんな永遠と心に囁かれる矛盾の苦しみが目の前にいる人にもあることを共有できることだけが唯一、真の理解だと思う。

誰にでも叫びたいことがあって、母親の電話を無視して、全部忘れてゼロにしてしまいたい時がある。事実上でいがみ合う二者の事実を越えた深い心の触れ合いがとても良かった。
折り合いがつかなくて、矛盾に悩んだ自分にすごく重なるかつての体験が少し救われる

事実は真実でないかもしれないし、真実は事実ではないかもしれない

'民主主義は最悪の政治形態だ
他に試みられたあらゆる形態を除いて'

そんな言葉とも重なる部分がある


~数学を通した暗示と対話~

冒頭、1と0.999~は等しいか、という問。これってすごく民主主義やジャーナリズム的な要素とリンクする部分だと思う。真実を求めようとする姿勢。二つが等しくなることってすごく希望的な感じがする。指南力というか可能性というか、上手く言えないけれど。なにかこの作品を象徴するような問題な気がする。
信じない訳にはいかない、信じたい
それが事実になる希望的な展開
先生も男の子もそれが1であることを信じている。二人は立場上対立することになるけれど、この対話で彼らはそれを越えた特別な意味を持って繋がっていた。神聖ささえそこにある。

ルービックキューブもまた暗示的だった。男の子にそれが渡された時、揃えられた一面を先生の正しさとするなら、他を揃えようとすることでぐちゃぐちゃになってしまう。全ての正しさを両立させることはとても難しく時間がかかることだし、事態が悪化することも考えられる。でも、最終的に彼はやってのける。絡み合った複雑な事態を整える。全ての正しさをひとつの立体に正しく両立させる。
そんな希望の予感の芽生えとしてラストシーンを受け取りたい。
最後のカットで彼が祭り上げられる描写は、彼がそれを成し遂げうる希望として描かれているのかなぁと思う。

信じることを諦めない

とても印象的な映画

ラストシーン、雨の中、締め切られた教室。二人はどこか別の世界にいるよう。特別な時間の流れの中で二人は繋がっている。深くに根ざした二人の孤独には静かで、きらりと光る確かな希望の予感がある。

この映画の答えの不明瞭さを受け入れることが求められていることのような気がする。それは混乱で、理不尽で、矛盾で、希望でもある。
ものがたりが終わらないことについて、
そのものがたりの余白は私たちのありふれた教室にも境目をなくして、この映画が流れこんでくる恐怖であり
同時に、その余白はまだ求めるべき希望があるかもしれないという余地がある

私はこの物語の結末を信じていたい

来週からの教育実習が楽しみになる映画でした。さすがに嘘です
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