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愛と宿命の泉 PART I /フロレット家のジャンのKinaponzのレビュー・感想・評価

4.1

『愛と宿命の泉』(1986) / 2部作 4Kレストア版

「フロレット家のジャン」(122分)
「泉のマノン」(114分)


新年(令和4年 / 2022 ) 初投稿です。

新年第1作は、1920年から30年代、フランスは
プロヴァンス地方の一小村を舞台にした
マルセル・パニョル原作の一大長編です。

今回が初見ですが、
のっけから名作をひきよせてしまいました。


中里介山未完の大作「大菩薩峠」の序に

“ この小説「大菩薩峠」全篇の主意とする処は、
人間界の諸相を曲尽して、大乗遊戯の境に参
入するカルマ曼陀羅の面影を大凡下の筆にう
つし見んとするにあり。−後略− ”

と云う詞がありますが、

今回の作品の感想を述べるにあたって
思いを巡らせていて辿り着いたのが

上の詞でした。

本作はまさに上記のことば通り

スベラン家とカモワン家の土地と水源を巡るやり取りを軸に
主にスベラン家のウゴランとセザールを通して、

人間の諸相と因果、及び業を余すところなく描いています。

中里介山は大凡下の筆と謙遜していますが
本作を監督したクロード・ベリも
大凡下どころか非凡な筆致で

このカルマ曼陀羅を写しきりました。


もちろん、それを可能ならしめたのは、
原作や脚本のもつ力だけではなく

他ならぬ錚々たる俳優陣であることは云うを俟ちません。

特にウゴランを演じたダニエル・オートゥイユの演技は

ウゴランの重層かつ多面的で複雑な内面を
見事に体現して唸らされます。

出合ったことはないのに、
確かにこの人物のことはよく知っている、と思わせられるのです。

ウゴランの伯父セザール役のイヴ・モンタンもさすがの貫禄で、

さらに、その二人を神のごとき視線で
射るように見つめる少女マノンの存在感も際立っています。

さらに附言すれば、
少女マノン (エルネスティーヌ・マズローナ) から、
第2部の10年後のマノン (エマニュエル・ベアール) への成長ぶりも
いかにもかくやあらんという連続性を保って
見事と云うほかありません。


余談になりますが、最近の本邦のTVドラマを目にすると

登場人物のキャラクターがあまりにも単純化されていて、
表でなければ裏と云う甚だ薄っぺらい造形になっていないでしょうか。

しかも何らかのエピソードや事件が先行してあり、
それらの出来事を描くために、登場人物の発言や行動を設定し、

物語を組み上げていく構成であるように見受けられます。

そのため、出来上がったキャラクターは
放送回毎に支離滅裂な言動をとる羽目になって、

整合性とリアリティー、実在性に欠け、
見ていて鼻白むことになるのです。


本作品の世界では、彼らは間違いなく実在しています。
一個の人間として確かに存在し、生きており

その人間性の発露として事件が起こり
物語が進んでいくのです。

人間に対する洞察と理解が、あまりにも違いすぎる、
と云うことも本作品を観ていて強く感じた点でした。


単純には割りきれず、罪と許しのあいだで揺れ動き、
かつ善悪を超越していく人間の本性の諸相を
俳優陣の並外れた技量で写し撮った
非凡な良作です。

(それにしても、
宣伝文句として広報上、目につく惹句でなければならない
と云う制約はあるのでしょうが、やはりこの邦題は、
チープで陳腐でいただけません。)
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