パングロス

東京暮色 4Kデジタル修復版のパングロスのレビュー・感想・評価

東京暮色 4Kデジタル修復版(1957年製作の映画)
2.7
◎暗いわ、間延びするわの小津には珍しい失敗作

4Kデジタル修復版(1957/2017年)による上映

日本橋あたりの銀行監査役をつとめる杉山周吉(笠智衆)と、男手ひとつで育てた姉孝子(原節子)と妹明子(有馬稲子)をメインとする家庭悲劇。

前年(1956年)の『早春』と脇役陣の多くが重なり、主舞台の家庭も「杉山」姓であることから姉妹編と見ることも不可能ではない。

音楽はやはり斎藤高順でタイトルバックのBGMもホームコメディ調だが、本作は、どう見ても悲劇である。

【以下ネタバレ注意⚠️】





山田五十鈴が、孝子、明子の二人の実母相島喜久子役で出演。
小津作品では、唯一の出演作である。

山田五十鈴は、実は、いちばん好きな女優だ。
日本のナンバーワン俳優だと確信しているが、本作では、終始、陰気な顔を見せるだけで全く本領を発揮できていない。

『大全』を見ると、キャストで揉めたらしく、当初、父親役は山村聰を(笠智衆に変更)、次女は岸惠子を(有馬稲子に変更)それぞれ予定。
岸の『雪国』(豊田四郎監督)撮影の遅滞や、イヴ・シャンピ監督(仏)との結婚話などで都合がつかなかった由。

正直、観はじめてしばらく、あまりにもドラマが動かないものだから、いつ動き出すのかジリジリしたが、終盤はある種のエログロと言うか、下卑て陰惨醜悪な三文芝居に堕ちてしまう。

ありゃ〜、天下のオヅにも、スランプってあったのねぇ、
と得心ざるを得ない事態となったのであった。

大体、いつも混んでるシネ・ヌーヴォの小津特集なのに閑散としてたし。
かと思ったら、次の『早春』になったら、満席になったし。

冒頭は、いつもの走る電車。
何線だろうか。
現在のイメージで言ったら鶯谷あたりか、
幾つか看板が映し出されるが、
「浮世風呂 全線坐」というのが妙に目立つ。
江戸時代じゃあるまいし、「浮世風呂」って何だ?

その他にも、本作は、看板類がよく出る。

中盤あたりで出る「壽荘 スグソコ」は、五反田にあるジャン荘の案内看板で、相島栄(中村伸郎)と喜久子(山田五十鈴)の夫婦が経営している。
前述した通り、喜久子は杉山の元妻で、二人の娘の母だが、戦後だいぶ経ったころだと言うのに、顔を合わせたことがない。

杉山家では、長女の孝子は、作家ないし評論家くずれで翻訳で僅かな収入を得ている沼田康雄(信欣三)と結婚して一児をなした。
ところが、沼田はウダツが上がらないことから酒浸りになり(*)、夫婦仲は冷え切っていた。
*孝子は夫をノイローゼとも言う。今だったら、こんな否定的な文脈で使ったら即刻アウトな案件だ。
孝子は、父の世話と言い訳しながら、夫をひとり置いて、幼い娘とともに父のもとで起居している。

杉山は、いつまでもいる孝子に対して「帰らなくていいのか」と促すし、心配のあまり沼田に会いに行ったりする。
しかし、孝子も孝子で、事態改善のために何かするでもなく、そもそも沼田と会話するシーンすらない。
ずっと、不景気な原節子の顔を観せられ続けるというのも、正直辛い。

次女の明子(有馬稲子)は、女学校を出たあと、英文速記の仕事をしているらしい(仕事をしているシーンがないから、よくわからない)。
ところが、彼女は、ろくに家に帰って来ず、外で遊び歩いているらしい(これも同様で具体的描写なし)。

実は、明子は、付き合っていた木村憲二(田村正巳)との間に子供が出来てしまっていたのだ。
しかし、何故か、彼女は父親にも姉にも、それを言い出せない。
それどころか、木村に会って相談したいと連絡しても、すれ違いばかりで、それすらかなわないことでイライラが募っている。

そのあとの、壽荘に集うマージャン仲間で、明子とも親しい川口登(高橋貞二)が、何かの声色を使って(*)面白おかしく、明子妊娠のてんまつを語る。
*Wikipedia によれば、当時人気の野球解説者小西得郎の口調の真似だという。
元来、良家の生まれでお嬢さん育ちだった明子が悪い友だちと付き合うことで「朱に交われば赤くなる」の例え通り堕落して、いわゆる「ラージポンポン」になってしまった、と。

いやぁ、高橋貞二がマージャンをしながら妙な口調でしゃべる様子といい、話の内容といい、明子に対するデリカシーのなさといい、隠語めいた「ラージポンポン」という表現の品のなさといい、あまりにもゲスい。とても小津作品の一節とは信じられない。

ところが、肝心の木村は、確かに優柔不断ではあるものの、ちょっとナヨっとした頼りなさそげな学生風で、とても悪人には見えない。

おまけに、明子行きつけのラーメン屋「珍々軒」(*)で、ようやく出会えたかと思うと、明子に言い負かされてビンタを喰らう始末。
観ているこちらは、どうにも明子の一人相撲にしか思えない。
何で、木村や家族としっかり相談して事の解決をはかろうとしないのかと解せないのだ。
*よりによって「珍々」軒って。これも狙ってたとしたら、小津の悪趣味極まれり、だ。店主は藤原釜足。いつも沖縄民謡「安里屋ユンタ」が聴こえて来るのもミソ。

明子は、中絶資金にあてようと、叔母の竹内重子(杉村春子)から内々に金を借りようとしたが断られる。
重子は、杉山や孝子を訪ね、そのことを報告した。
*杉村演ずる重子は、終始暗い本作にあって、数少ない陽気なおしゃべりキャラ。本来なら、うるさく思うところが、逆に出てくると場が明るくなって安心する。

話を聞いた杉山が借金の理由を問うが、明子は答えない。

また、重子は、偶然、喜久子に出会ったことを告げる。

明子は、すでにマージャン仲間の縁で、壽荘に出入りし、喜久子とも面識を持っていた。 
喜久子は親子の名乗りこそあげていなかったが、明子には優しく接するのだった。

そうと勘づいた明子が、孝子に、喜久子が本当のお母さんでしょ、と詰め寄ると、明子は杉山との生別の理由を打ち明ける。
戦前、喜久子は男の人が出来て、私たちを置いて、家を出て行ったの、と。

明子は、杉山の友人関口(山村聰)を訪ね、嘘を言って金を借りた。

ひとり場末の産院を訪ね、女医(三好栄子)に密かに中絶の意思を伝える。
三好栄子演ずる女医が、いかにも訳知りなヤミ医者らしい凄味を見せ、
「心配いらないわ、よくあることよ。
あなたは新宿の店? それとも渋谷?」
と訊き、明子をすっかり赤線か立ちんぼの娼婦だと思い込んでいる。

ね、エログロでしょ。
小津映画のヒロインが、中絶っていうのもスゴいが、その彼女を淫売扱いするって‥‥

別のシーンだが、
「女ってやつはナ、少しズベ公なぐらいがいいんだ」
などという酷いセリフさえある。

絶望感にさいなまれながら、明子は喜久子を訪ねる。
お母さん、私は、本当はお父さんの子じゃないんでしょ。私には、お父さんのような立派な人の血は流れていないようにしか思えないの、と。
喜久子は、何を言ってるの。あなたは、間違いなく、お父さんとお母さんの子よ、と答えるが‥‥

結局、明子は、珍々軒に寄ったあと、電車に飛び込み、一命は取り留めたが、病院のベッドで回復しないまま息を引き取った。

孝子は、壽荘を訪ね、明子はあなたのせいで死にました、と喜久子に告げ、もう決して、うちの家とは関わらないで欲しいと強く念を押す。

忌みも明けようとするころ、喜久子は、杉山家を訪ねるが、玄関先で、明子に花だけ渡し、今まで躊躇していたが、ようやく決心がついて、今の夫(中村伸郎)と北海道の室蘭に行くと告げて辞去する。

列車で、室蘭に向かう夫婦。
喜久子は、列車が動き出すまで待ったが、明子も杉山も、ついには現れなかった。

で、終わり。

***

ふうっ、

何だか終わり方もモヤモヤするばかりで、ちっともカタルシスも余韻もあったもんじゃないですよね。

本作は、小津と共同脚本の野田高梧からも製作段階から強く批判され、キネ旬邦画ランキングでも19位で、小津自身「何たって19位の監督だからね」と半ば負けを認めた失敗作だ。

エリア・カザン監督の『エデンの東』(1955年)の翻案を目指したものと言うが、旧約聖書のカインとアベルを再構築し、若きジェームス・ディーンの名を映画史に刻んだ超名作とは較ぶべくもない。

まぁ、上野昻志のように、
「(小津がいかにアメリカ映画に親近していたか‥)その流れは、わたしが好きな『東京暮色』などにも繋がっている」〔シネ・ヌーヴォSCHEDULE 2024年3月『上野昻志の酔余の一滴〈続〉vol.14 小津映画の愉しみ』〕
と公言される方もなかにはいらっしゃいますが‥‥

ひとつ、小ネタの補足を。
杉山はパチンコが趣味で、監査役にしては珍しいと、女子社員に陰で言われている。
これは、『お茶漬けの味』(1952年 2024.3.25 レビュー)で笠智衆が、佐分利信の戦友で、復員後、パチンコ屋を営んでいる平山定郎を演じていたことを踏まえているのではなかろうか。

最後に、妄想ですが、本作が何故に斯様な失敗作に終わったかの愚考をひとくさり。

監督が、自作の出演者、なかでもヒロインに恋するって、よくある話じゃないですか。

小津も、前作『早春』で起用した、当時飛ぶ鳥を落とす人気スターであった若き岸惠子に恋をした。
『早春』の彼女は、主人公の妻ある池部良と一夜の情事を愉しんだわけですが、ファムファタールたりえず、ヒステリックに泣き叫ぶばかりで池部は妻のもとに帰っていったわけですな。
小津には、半ば恋、半ば嫉妬から、この(小生意気な)人気者を、作品を通して、貶めてやろう、という下心があったのではないか。

次には、いよいよ岸を主役に据え、一時のアバンチュールが仇となって身籠り、淫売と看做されながら堕胎し、そのまま絶望して命を断つ《堕天使》を演じてもらおう!
そうだ、それがいい!

まぁ、よく言えば、小津は自らをドクトル・ファウストになぞらえ、岸をその想い人グレートヒェンに譬えたかったのかも知れません。
彼女も妊娠して絶望し、赤子殺しの罪を着せられて投獄され、死して昇天し天使となるのですから。

ところが、大事の岸は、豊田四郎の『雪国』とフランスの後輩監督イヴ・シャンピに奪われ、相棒の野田高梧には馬鹿にされるわ、で、ヤケのやん八になった挙句のシロモノが本作だった、という見立ては如何でありましょう?

さて。

《参考》
生誕120年 没後60年記念
小津安二郎の世界
会場:シネ・ヌーヴォ 2024.3.2〜2.29
www.cinenouveau.com/sakuhin/ozu2024/ozu2024.html
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