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秋刀魚の味 デジタル修復版のharunomaのレビュー・感想・評価

5.0
アグファ。『彼女は陽光の下で長い時を過ごした』
Netflixが21世紀史上最低のクソコンテンツ事業者であるのは、
何も小津安二郎映画作品が「秋刀魚の味」しかないことではなく、
A24以下の露悪的な味付けを持って(所詮はイスラエル=タランティーノ同様レンタルビデオ屋の自称映画視聴体験者が映画を作り始める)
極限的に少ない作品数においても、中途半端なコントロール不可能性の下に西部劇なしのアメリカ風映画を提供しているからでもなく、
端的に「秋刀魚の味」の笠智衆のあのラストショット(小津のラストショット)を、最後まで見せずに、どう再生しても別な作品へ飛んでしまうそのUXのクソ構造仕様にある。

デフォルトとは言え、設定を変更しても落ち着いてラストショットを見ることはできない。
絶対に次の「ターミナル」への案内に画面は変わる。
このような馬鹿がflicks(映画)しているわけである。
目に余る映画への屈辱的な態度を映画俳優組合は断固として糾弾すべきである。
自民党売伝超キックバックにアンティゴネ的怒りを持って、逆に奴らの墓をその壺に押し込めるべきである。ユニティは調和ではなく、断片の激突がモンタージュであるのだから、
火花は闇ではなく白日の陽光の下にこそ花弁はその顔を見せる。

一点、4Kデジタルリマスターなり修復なりだが、小津や黒澤だけは、なんの感慨もなく、修復もなくデジタルは需要可能だ。綺麗ですねという同語反復の変化なし。エドワードなんかと比べてもリマスター(醜悪すぎる思い出補正はもはやフィルムではない)といういかがわしさが古典的歴史を現代に透過している。なんの面白みもない透明であることがデジタルだ。そんなものを崇めている偶像野郎は眼がスクリーンになっているクソだ。
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