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ドーハ1993+のdm10foreverのレビュー・感想・評価

ドーハ1993+(2019年製作の映画)
3.9
【アメリカは燃えているか・・・】

もう30年近くも前のことなんだね~・・・・
そうやって口に出してしまうと遥か昔のようにも感じるし、だけど、ちょっと目を瞑って思い出してみると、あの時の衝撃が昨日のことのようにも感じられるし・・・。

すでに「ドーハの悲劇」は歴史の教科書レベルまで過去の出来事のように語られているけど、やっぱり一定以上の年齢の方にとっては「サッカーファン」云々に関わらず、鮮烈で残酷な一瞬として脳裏に焼きついているんじゃないかな・・・。
とはいいつつも、僕個人の話しをすれば、それまでの人生で経験したことがないくらいの「落差」を目の当たりにした瞬間から、本気で数時間の記憶が飛んでいるけどねwww

・・・だからね、正直何年間もこの時の映像は観られなかったよ。
TVでは何度も何度も繰り返し流すけど、本当に趣味の悪い奴等だ!と勝手に独りで憤慨してチャンネル変えたり。
・・・でも、やっぱり気になるんですよ。
あれだけ本気で何かを応援したことがなかったから。
いや、応援はそれまでもしていたけど、あんなに「実感が伴った」というか「一体感」というか「グルーブ」というか「パッション」というか・・とにかく常に選手たちと共に予選を戦っている気持ちになっていたし、実際「あと1cm」くらいまで迫ったんだよね。

それはホントに思う。
それだけにね・・・

アメリカW杯の本戦を観るのも辛かったなぁ・・・。
(あと少しで、ここにいたのかも・・)なんて考えちゃって。

でも、やっぱり遠かったんだな~。今になって思うけど。

何が足りなかった?

う~ん。僕は選手でも監督でもないから本質的な部分はわからない。もし僕が答えるなら「僕の応援が足りなかった」としか・・・(笑)
それはどうでもいいとして、選手たちは「あの日」の「あの瞬間」をどう思ってきたんだろう・・って。
日本中が「悲劇」と呼んだあの瞬間を、選手達も「悲劇」と思ったのだろうか?

まぁ、これは結局「結果論」でもあるんだけど、4年後にフランスW杯に出場できたし、その決り方も延長Vゴールというあまりにも劇的な幕切れだったこともあって、世間一般的には「悲劇」と呼ぶ事自体が、後の「~歓喜」のフリのようにもなっているのかもしれない。

鑑賞の順序として、先日「ジョホールバル1997~20年目の真実~」を先に見てしまったので時系列的には前後してしまうけど、その辺はあまり気にならない。
例えて言うならSWの公開順とストーリーの展開の関係みたいなもんかな。

『結末を知っているからこそ、「何故?」が知りたくなる』的な。

そう考えると、やっぱりあの時ピッチに立っていた選手の言葉は重みが違うよね。
個々にどう感じていたかというのは、本当にそれぞれなんだけど、誰もあの瞬間を悲劇だとは思っていない。
それよりももっとゲーム(試合)に入り込んでいたから。

情報自体はそれほど目新しくはないんだけど、個人的に評価が高くなるのは「当時から気になっていたこと」に触れてくれたから。

一つは「1点目(ゴン中山)はオフサイドか?」問題。
これは当時から相当議論されていて結構意見も分かれている。
実際VTRで検証しても凄く微妙。だから世界中のトップレベルの審判があの瞬間にジャッジしたとしても半々だったのではないかな・・・(因みに僕はオフサイド・・・と言われても仕方ない・・と思ってた)。
で、選手たちにもその質問をぶつけてた。
やっぱ、そんな感じだよね。「今だから言える」的なのってやっぱりあるよな~と。
僕自身も学生時代の試合中に(やべっ!今の審判見てなくて助かったぁ)ってことも何度かあったし(笑)。

あと、オフト監督の采配かな。
最後の交代枠が何故「武田」だったのか?
武田が好きとか嫌いとかそういう次元の話ではなくね(笑)
何故、あれだけ中盤が疲弊して間延びしている状況で、まさにダイナモの如く走り回れる北澤を入れなかったのか。誰が見てもあの時間帯の日本にとって「一番必要なパーツ」だったし、あの時間帯のイラクにとっては「一番入ってほしくないパーツ」のはずだった。

・・・だけど、ピッチに入ったのは武田だった。

交代の妙というものは、とかく結果によって評価が分かれる。
極論を言えば「それはちょっと・・・」と思われた采配だって、結果が伴った瞬間に評価は一変する。
それくらいに監督の一挙手一投足は絶大な責任と意味を持つ。
そして、その真意というものこそ「監督の胸の中」にのみ存在するものであり、よほどルーティーンな戦術でもない限り、近くにいる選手ですら監督の、瞬間ごとの心の機微なんてわかるはずもない。

まして、オフト監督はオランダ人。
日本のサッカーに精通したとは言え、明らかにメンタリティの本質の部分では日本人のそれとは違う。
それはどちらが良いとか悪いとかの次元の話ではない。
ただ、恐らく説明でもない限り、私たちが理解することはないだろう。
こちらから聞き出しでもしなければ・・・。

もしかすると、現在までこのテーマが議論され続けている理由はただ一つ。
オフトがオフィシャルな場でこの事について言及していないから。
だから、きっと「タブー」なんだと思っていた。誰も踏み入ってはいけない禁断の場所なんだと。

しかし、実は当の選手がこの件について、直接オフトに切り込もうとしてた。
それが北澤だった。

ドーハから暫くたった頃のある酒の席。
オフトの近くに座った北澤は酒の勢いも借りつつ切り出す。
「ねぇ、どうしてあの時、俺じゃなくて・・・・」
オフトは一瞬(はっ)という顔をして、ゆっくりと頭の中で答えをまとめようとしているようだった。
「・・・あ、やっぱいいや」
北澤は自らオフトの答えを遮り、以降この話題を口にすることはなかった。
「だって、聞いたってもうどうしようもないでしょ。今更結果が変わるわけでもないし」
強がりなのか、時とともに結果を受け入れてきたからなのか。

ただ、そのやりとりから見えたこと。
きっと、オフトは後悔している。そしてそれを全て自分の責任として胸の中に一人でしまい込んでいる。
誰のせいにもせず、ただ一人自分の責任として。

勝負事は結果が全て。
「勝ちに不思議の勝ちあれど、負けに不思議の負けはない」
負けたのは、相手より弱かったから。それだけの話。
89分間勝っていても、たった1分で勝敗が決することだってある。
負けた側が何を言ったってそれは「言い訳」に過ぎない。

だからオフトは黙ったのだ。
(もし、あの時・・・)
それが言い訳になるとわかっているから・・・。

この経験があったら4年後にW杯に出場できたという人も多い。
ここから多くのことを学んだからこそ、選手達は最後の最後まで諦めずに戦い抜くことができた。
そしてサポーターも最後の最後まで諦めずに力の限りに応援した。
そう考えれば、なんとドラマティックな展開だったのだろうか。

・・・だけど、やっぱり「4年後に得るもの」と引き換えに失ったものもあって、それはとてつもなく大きなもので・・・。

結果論で評価するのは簡単。最終的に一番欲しかったものが手に入ったんだから。
だけど、実は本当に評価すべきはそこではなくて、
それは、あの日、絶望のどん底まで突き落とされた選手、スタッフ、関係者、そしてサポーターたちが、ボロボロになりながらも歯を食いしばって再び立ち上がったこと。
4年後の未来が約束されているわけでもなんでもない「あの日」に、もう一度上を向いて立ち上がった、その気持ちがあったからこそ4年後に歓喜が訪れたのだと信じる。

だから「ジョホールバルでのあの夜の出来事」は奇跡ではなく歓喜なのだ。


*この作品は3年前のコロナど真ん中の時期にYoutubeで観た作品。
一応レビューは残していたけどFilmarksにタイトルが上がっていなかったのでそのままになっていました。
で、たまたま今回思い出して運営さんにお願いしてタイトルあげてもらいました。
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