このレビューはネタバレを含みます
チネラヴィータ仙台で見た。タイトルと予告だけ見て、何となくホラーっぽい話なのかと予想して足を運んだ。その予想は裏切られたわけです。
誰もが復讐ものを期待して本作を見続けるわけだが、結果として復讐は遂げられず、交通事故の加害者家族は刑期を経て許され、被害者家族は使用人として飯をふるまう。
不穏な音楽で盛り上げてくるクライマックス、(来るぞ…来るぞ)
絶対、加害者家族が血反吐をはいてぶっ倒れると大方の観客が予想したはずである。しかし、その予想は裏切られ、奇妙な味を残して本作は幕を下ろす。
どうやらフィリピン版と国外版でエンディングが違うらしく、フィリピン版は予想通りのバッドエンドなのかもしれない。また、監督自身インタビューで「毒殺するパターンも考えた」と話していた。
しかし、キリスト教的な赦しの物語であるのだと。
宗教的な背景はともかく、確かに本作のような流れの方は、確かに現実にあると思うのだ。
親父を身代わりにしたとはいえ、きちんとひき逃げの刑期は勤め上げたわけだし、家族を皆殺しにされるのは明らかに過剰な復讐だ。その後、人間同士で対話すれば分かり合えるかもしれない。そもそも、被害者の父親は実は家庭でDVをふるっていて‟死んで当然のクズヤロー”だったのかもしれない。
しかし、それは描かれない。我々の公正世界仮説に反する展開。
吊るせ!吊るせ!!吊るせ!!!
と心中の市民たちが、ギロチン台の前に座らされたマリーアントワネットを前にしたフランスの民衆のように叫ぶ。
その要求にこたえるのが映画だと、例えばタランティーノなどはエクスプロイテーションし続けているわけであるが、それに与しないというのは確かに倫理的な態度ではあるのかなあと思った。
ただ、気持ちよくはない。