べえさあ

コンテイジョンのべえさあのレビュー・感想・評価

コンテイジョン(2011年製作の映画)
3.8
“Somewhere in the world, the wrong pig met up with the wrong bat.”
「世界のどこかで接触してはいけない豚とコウモリが不運な遭遇をした」

パンデミック時の科学・医療現場の現実と人間社会の複雑さが見事に描かれている。
どれだけリアルに表現できているのかは今まさにウイルスの恐怖に直面している世界中の人がわかるはず。

ウイルスによって現実的に起こりうる事象や考慮しなくてはいけない課題が各登場人物のセルフや行動を通して描かれていて、観ている側もそれぞれの心境・状況が理解しやすいように作られている。公開当時に観賞した人も決して他人事には思えなかったのではないだろうか。

デマを鵜呑みにして暴動を起す国民、極秘の都市封鎖情報を恋人にだけ流すCDCの博士、ウイルスサンプルを指示通り処分しない研究員、自身の利益のために誤報を流し利益を得ようとするブロガー、・・・。ウイルス拡大を抑制しやすくするためにも恣意的な行為で社会を混乱させてはいけない。けれど極限状態に陥ると自分や家族・恋人のことを優先するのが人間。それぞれが異なる価値観と状況を抱えている中で、国民の意識を一つにし、一貫した行動を取らせることがどれだけ難しいことかが表されている。

本作には、研究者がどのようなステップを経てウイルスへの対応策を練り、ワクチンの開発も進めて行くことになるのかという我々が普段知ることのない科学的な情報が多く含まれている。ウイルスで混乱した社会を描き、危機感を持たせるだけでなく、人々が医療の現場への理解を深め、より冷静で協力的に動くことを促す内容になっていた。

2020年の世界情勢を背景に本作を観ると、CDC(米国)=ヒーローで拡散元の中国=敵という構図になっている様に見えてしまう方もいるようだが、製作時のソダーバーグと脚本のバーンズにその意図はなかったと思う。実際、今作のテーマに興味を持った理由としてソダーバーグ監督は、麻薬と違って人はウイルスに対して政治的な意見を持っていないから映画の反応も極端に分かれることはないし、現実的にもあり得るということにも魅了されたからだと2011年の記者会見で述べている。しかし、この点が私的には一番興味深かった。なぜなら、公開から9年経ち、「ウイルス兵器」という言葉が身近になる程、明らかに現在ウイルスは政治的な意見を持たれる存在になっているからだ。

ビル・ゲイツも今後核兵器よりも恐ろしい存在になるのはウイルス兵器だと数年前から提言していた。本来、政治も経済もない外の世界で発生したことにどの人間にも責任はない。だが、今後ウイルス=兵器という認識になれば、政治的なものとしてみられることが当たり前の時代になっていく。

ウイルスの発生源を早期に知ることができれば対策が取りやすくなることは確かだが、それを名目に責任転嫁のための犯人探しをするのは時間と労力と命がもったいない。

「こういった事態に直面した時、僕らが、自分の最も良い部分を出してきて闘えることを願いたい。最も悪い部分ではなくて。ばかな行動を取りそうになったら、10じゃなくて11数え、心を落ち着かせてくれたらいいなと思うよ」
-スティーヴン・ソダーバーグ-