ベイビー

ゴースト・トロピックのベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

ゴースト・トロピック(2019年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

主人公のハディージャは仕事帰りに電車で寝過ごしてしまい終着駅へ。終電もない、お金もない、彼女は仕方なく寄る辺ない夜の街を彷徨い歩き、一人寂しく家路に向かう… というお話。

たったそれだけのお話なのに、物語の面白さがじわじわと伝わってきます。やらかしてしまった時の絶望感。深夜に不慣れな場所を歩く不安感。この帰宅するという小さな旅の先にハディージャは何を見るのでしょう…

僕も先日、一人で一泊旅行をしてきました。見知らぬ土地を歩くというのは、少なからず不安が残るものです。同じ日本に住んでいるのですから、その街のルールなんてそれほど変わるわけないのに、ちゃんと自分は街に溶け込んでいるのか、おのぼりさんに見られていないかと、つい気に病んで周りの目線を気にしてしまいます。

しかし、当たり前のように街の人は誰一人として僕のことなんて見ていません。存在すら感じていないでしょう。不慣れな場所で過剰に意識を働かせたところで滑稽なだけ。誰の意識にも僕の姿は映らないのです。それはゴーストそのものです。

おそらく不慣れな夜道を歩いたハディージャも、不安を抱え、周りに注意を払い、意識を研ぎ澄ましながら夜道を歩いたのではないでしょうか。その上ハディージャは移民です。彼女の心細さは国元を離れ、この土地に流れ住んだ時のことを思い出させたのではないでしょうか。当時も不安を抱えながら、見知らぬ土地を眺めていたのではないでしょうか。

冒頭で「私は全てを見ている…」というような語りもありましたが、それからハディージャの心中と併せると、この作品でいう“ゴースト”とは、日常(現実)から少し外れた俯瞰な目線のことを言っているよう感じられます。

この街の常識として、直ぐそこに深夜に繁華街まで行けるバスがあるということ。そのバスが機械トラブルのため運行できなくなったこと。その一連に戸惑い不安がるハディージャですが、地元の人たちは日常のことのように振る舞っています。

そうやって地元では普通に染まった日常も、ハディージャからすれば非日常となります。彼女の俯瞰の目線は地元の人が日常化された問題を拾い上げ、ことを荒立てるわけでもなく静かに解決していくのです。

彼女の善行はまるでゴーストの囁き

夜が明ける頃には全て何もなかったかのように、この街の新たな日常が生まれます。浮浪者の凍死は残念でしたが、残された犬のことや未成年者にお酒を販売している店のこと、これらはハディージャが目を掛けたおかげでこの街の日常から外され、誰かの意識に届くきっかけになったのだと思います。

人は奇妙な形で人と関わり、いつの間にか人の意識から消えて行く… ハディージャのゴーストの旅は終わり、夜が明けて今度はハディージャの日常が始まります。

そしてラストに映し出された常夏の地で遊ぶ娘の姿。彼女のゴーストは日常から掛け離れたその地で、何を経験し、何を目に映すのでしょうか…
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