西荻フェイクドキュメンタリー映画祭にて。大学の課題で点ちゃんに密着することになり、カメラを向けられる違和感を吐露する点ちゃん。その違和感、暴力性が知らぬ間に日常へ変わり、点ちゃんの素を写しているかのような自然な映像にほっこり、と思いきや突然蒸発する点ちゃん。
点ちゃんのかけらを写し続けていたはずが、知らないうちに対象が別の友人(映す映される暴力のループ)に移っていたことを示唆するようなエンディング。
点ちゃん「カメラを向けることもカメラに映ることも神聖なこと」
この科白は自分が発明したかのように日常使いしたいですね。私はカメラで(特に人を)撮ることも、撮られることも苦手で、それをすると常に罪悪感が芽生えます。その違和感について。綺麗な映像、インスタ映えする写真などが世間に溢れているけれども、それこそがフェイクであるという反面教師的な気づきが得られる。