レインウォッチャー

もっと遠くへ行こう。のレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

もっと遠くへ行こう。(2023年製作の映画)
3.0
ただの私的感覚の話になるけれど、SF映画には《ますらおぶり》と《たおやめぶり》があると常から思っていて、それでいうと今作は《たおやめぶり》。

想像上の未来という特殊な環境そのものよりは、そこに置かれた人々の生活と感情を見つめることで、より現実と地続きで普遍的な人生の側面、人間関係の機微などが浮かび上がる構図。
今作であれば近未来、決定的なディストピアへの移行期にあたる話なわけだけれど、あくまでミニマムな夫婦(人対人)の話として完結している。

用意されたちょっとしたオチは、この手のフィクションにある程度慣れている人であれば早々に予想がつくものだと思う。ディックや星新一の短編にあっても違和感ない感じ。

そこを、テレンス・マリック的な(そんなに観たことあるわけじゃあないんだけれど)終末の映像詩と、主演2人=S・ローナン&P・メスカルのパワーで底上げしている。
2人とも、キャラクターの解釈が末端の神経まで行き届いていると感じさせる。共にまだ20代ながら、離れ難さから日々をやり過ごしつつもちょっとしたズレが治らず膿んでいく経年劣化の力学を表現しきっていて、末恐ろしい。2人のファンであれば惚れ直すだろうし、ノーマークだった人はきっとこれから気になる名前の筆頭になると思う。

今作のテーマやストーリーは、冒頭にテロップで表示される序文の時点で既に予告されているといえる。
地球環境が悪化し、人類の宇宙移住計画が進む世界で、AIが「地球の最も荒廃した地域で人間の労働を肩代わりする」というものだ。

ここで、使われている単語をピックアップしていくと興味深い。

たとえば、《労働(labor)》。
いまAIやロボットに代替される仕事ときけば、いわゆる単純作業がイメージされるだろう。laborは、たとえばworkよりも肉体に負担のかかるような作業や労働を指す。つまりはしんどかったり面倒だったりで「やりたくないこと」だ。

しかしこれはあくまでも現代の尺度で、更に進んだ未来ではどこまでがlaborの範疇に入るのだろう?
主人公たちは農場の近くに住むが、既に運営が自動化されたり水すら不要だったりと、不可能だったことも可能になっている。現在でも、つい数年前まで奪われることのない人間の占有領域と信じられていた絵や音楽などの芸術分野にもAIは進出しだしたりしていて、どうやらその広がりは不可避だ。

頑なに抵抗を示す人もいるけれど、人格や機微すら数値と場合分けに置き換えられるのであれば、結局は量のレースであり、要するに時間だけの問題だといえる。
知的な営みも、いつかはlaborと見なされ塗り替えられる時がくるのかもしれない。そして、その中には《愛》さえも含まれ得る。

次に、《荒廃した(ravaged)》。
ravageには「奪い取る」ようなニュアンスがあって、直接的には人間のエゴで傷つけられた地球を指すだろう。しかし同時に、ravageは物理的な荒廃以外に精神的な疲弊も表すことができる語だ。これを踏まえたとき、今作において奪い取られ疲れ切ったのは誰の心なのか…に思い至る。

AIが肩代わりしてくれる「荒廃した場所での労働」とはどこの何を指すのか?
タイトル(原題)の『FOE』=仇敵とは、誰に対する誰だったのか?
考え出すと暗澹たる気持ちになり、ラストも救いがあるのかわからない。わたしたちにできるのは、雨に紛れた涙を見過ごさないように努力することだけだ。