アニマル泉

けんかえれじいのアニマル泉のレビュー・感想・評価

けんかえれじい(1966年製作の映画)
4.5
清順は新藤兼人の脚本が「喧嘩ばかりで軸がない」ので北一輝のエピソードを加えて撮影したという。いろいろあったに違いない。この頃の日活の制作体制はどうなっていたのだろう?本作のクレジットにはプロデューサーがいない。そもそも製作のトラブルはプロデューサーの責任になる。清順は次作の「殺しの烙印」で堀久作社長に解雇されるが、当時の体制でプロデューサーが不在だったのだろうか。
本作もまた「高低差」の主題が際立っている。麒六(高橋英樹)とスッポン(川津祐介)がOSMS団(岡山セカンドミドルスクール団)と対決する前半のクライマックスで麒六は櫓に登って上から石を投げつける。警察がやって来るのを見て半鐘を鳴らすが一人櫓の上に取り残される、やって来たのは警察の扮装をした麒六の父(恩田清二郎)で、櫓の上の麒六が父に下から怒鳴られるという面白い高低差の関係になる。土手で麒六と道子(浅野順子)が歩いているのをタクアン(片岡光雄)に見咎められる場面も高低差の関係だ。麒六とスッポンが校舎の窓ガラスを破壊してプールに飛び込み逃げる場面、麒六が岡山を去るにあたり道子に会いに駆け下り、声をかけられずに駆け上がる坂道、会津若松の鶴ヶ城の石垣に座る麒六と父、いずれも物語の要所は「高低差」になる。面白いのは昭和白虎隊に捕まり縄で縛り上げられて宙吊りにされた麒六の脱出場面だ。麒六は足を縛られた縄を真下を歩く敵の首に引っ掛けて足を持ち上げて相手を首吊りにして失神させる。さらに寺の床下に潜り込み油断している昭和白夜隊に真下から竹槍を突き上げる。アクションがことごとく垂直の運動に特化されていくのが見事だ。おまけは鶏と並んで逆さ吊りにされた昭和白虎隊の面々だ。
本作で注目したいのは「円」「玉」「穴」の主題だ。麒六の喧嘩殺法はグルグル縄で回すメリケンだ。メリケンには釘が仕込まれている。麒六がメリケンを回すと敵が円環状に後退るのが面白い。本作はメリケンの他にも、尻に刺さる靴のスパイク、麒六が尖った竹を裸足で歩く修行、近藤大尉(佐野浅夫)が麒六に画鋲の上を素足で歩かせて足裏いっぱいに刺さる画鋲といった「刺さる」描写が強烈だ。ちなみに清順独特のジャンプカットはこれらの場面で典型的に使われる。麒六が尻餅する相手の真下にスパイク剥き出しの靴を置く、ジャンプしてスパイクが刺さっている尻のアップで絶叫、ジャンプして追われて疾走する麒六の移動ショットだ。尻のアップを挟む事でアクションを鮮やかに飛ばす、これが清順の至芸である。「円」の主題では麒六が円盤に括り付けられてグルグル回される場面もある。「玉」はスッポンと麒六が指で飛ばして相手を撃つ、蝋燭の火を消す、蝋燭に穴を開けるのが痛快だ。「穴」は日活を辞めたあとの独立時代に顕著になってくる清順の主題だ。本作は障子を介しての麒六と道子の別れの場面、道子の指が障子を突き破り、穴から麒六の指と絡み合うのが官能的だ。この絡み合う指のアップの次にジャンプして玄関からハラリと暖簾を落として雪道を駆け去る道子のロングショットになるのも清順らしい躍動感だ。
本作では「風」も強調される。麒六とスッポンがOSMS団と激突する場面、砂塵を巻き起こしてトラック一杯に武装した麒六たちが突っ込んでくるのがいい。あるいは麒六と道子のバックの桜がシーンじりにハラハラと舞うのが清順らしい。清順の「桜」も本作では頻出する。さらに本作で特徴的なのが「竹林」だ。麒六の喧嘩修行や喧嘩の場面が「竹林」になる。
ピアノの音も注目したい。道子の弾くピアノが断続しながら流れる。この間断が説話の展開に計算されているのがさすがだ。道子のピアノは麒六の幻想になる。麒六の部屋で道子がピアノを弾き、麒六が襖を開けると荒野になるのだ。
「水」の主題では肥溜めにハマって全身ドロドロになっての畑の喧嘩が凄惨だ。
麒六が道子を思い焦がれて勃起してしまい、夜中に自分の男根でピアノの鍵盤を叩く場面は、もちろんズボンを落とした足下がピョンピョン跳ねるというオフショットで描いているのだが、この時期の清順にしては珍しくストレートな性表現になっている。
カラーシネスコ。
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