耶馬英彦

マリア 怒りの娘の耶馬英彦のレビュー・感想・評価

マリア 怒りの娘(2022年製作の映画)
4.0
青い月夜の浜辺には
親をさがして鳴く鳥が
波の国から生まれ出る
ぬれた翼の銀のいろ

夜鳴く鳥のかなしさは
親をたずねて海こえて
月夜の国へ消えてゆく
銀の翼の浜千鳥

 1919年(大正8年)発表の「浜千鳥」という童謡を思い出した。100年以上前の童謡だが、もし映像化したら、本作品のようになるのかもしれない。

 ニカラグアは世界でも最貧国のひとつで、本作品の製作国がニカラグア・メキシコ・オランダ・ドイツ・フランス・ノルウェー・スペイン合作となっていることから、映画監督はニカラグア出身だが、お金を出したのは他の国だということが分かる。
 文化は周辺から変わっていく。中心にあるものは、時間や時代の流れとともに周辺にあるものに取って代わられるのだ。日本の歌謡曲の変遷を思い浮かべるとわかりやすい。テレビ全盛、大人の恋愛歌全盛の時代があって国民は同じ歌を共有していたが、インターネットが普及して以降は、テレビの歌番組は極端に減少し、国民はそれぞれに好きな歌を聞くようになった。
 映画も例外ではないだろう。ハリウッドのB級娯楽大作は陳腐化してきて、大人の鑑賞に堪えなくなっている。米アカデミー賞にもその傾向が現れていて、マーベル好きの人には申し訳ないが、どんなにお金をかけても「アベンジャーズ」が受賞することはない。

 本作品には猫女というユニークなイメージが登場する。少女が大人になるときに、猫女が現れるという話である。主人公のマリアは11歳。年齢からして、猫女は初潮のことかと思っていたが、どうやら違ったようだ。「浜千鳥」の歌詞のように、子供は、親の庇護から離れる悲しみを乗り越えて大人になるものだ。
 人、動物、そして家。マリアは短期間でたくさんの別れを経験する。出逢いもあるが、それは別れのはじまりでもある。死は永遠の別れだ。葬式ごっこ。死体ごっこ。響いてこない宣教師の説教。どれも無駄なシーンではない。多用する顔のアップで、孤独な少女の心の移ろいを丹念に描き出す。秀作だと思う。
耶馬英彦

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