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ウルトラマンブレーザー THE MOVIE 大怪獣首都激突のccのネタバレレビュー・内容・結末

1.9

このレビューはネタバレを含みます

まずは嬉しく思う。特撮はここまで進化したのかと。米国でハリウッドに打ち勝った水爆怪獣サマには流石に及ばないものの、着ぐるみとミニチュアでここまで撮れるのかと感動したことは間違いない。昔の特撮が画質の粗さ故に誤魔化せていた実写背景と着ぐるみ、人間の合成といった部分も、もはや誤魔化す必要のない域に入りつつある。人々が見上げる先には怪獣もウルトラマンもいた。着ぐるみ保守派というわけではないが、『シン・ウルトラマン』やNetflix『ULTRAMAN』の成功があっても直ちにフルCGへ傾倒することなく(予算がとかは言ってはいけない)独自の進化を貫いてきた円谷プロの特撮を評価したい。『ガメラ3』を到達点とする風潮は終わりつつあるのかもしれない。

国会議事堂のミニチュアセットの前で撮られた戦闘シーンなどは、やはり宣伝されていただけのことはあり迫力がある。どうしても可愛く見えてしまいがちな着ぐるみプロレスの迫力を引き出す手法としては、アオリのアングルで彼らを巨大に見せ、手前には電柱などそれなりの大きさのもののミニチュアを配置し、といったものがよくあると思う。もちろん本作でも使われているわけだが、国会議事堂のシーンでは抑制されているように見える。恐らくはアオリで撮影するとせっかくの国会議事堂が映らないからなのだろうが、ミニチュアが非常に精巧に作られているために、多少引きのアングルが続いても見ていて苦しくない。同様のシーンで記憶に新しい(といっても20年前!)のは『東京SOS』だろうか。未知の技術で誕生してしまった望まれぬ怪獣(『東京SOS』ではもちろんゴジラ、今作はゴンギルガン)と技術の軍事転用で生み出された機械獣(機龍、アースガロン)が国会議事堂前で、という共通点もありどうしても比較の対象となってしまう。正直言ってぶっ壊し具合などは全壊させた『東京SOS』の方が好みである。しかし、世界観のリアリティがありながら舞台はほとんど架空の「市街地」だった『ブレーザー』本編を考えたときに、あえて霞が関を選んだことを評価したいと思っていた。しかしこれは期待外れが過ぎた。

ゴンギルガンが霞が関を襲う理由自体は別にいい。これに同化する少年は科学技術の悪用や地球の環境破壊、争いを続ける「汚い大人」たちを非難し、この国の中心、一番腐っている霞が関を襲撃していると説明される。問題はここからである。上のような少年の告発は、「自分を見てほしいだけ」「自分の寂しさや怒りを世の中の怒りに置き換えているだけ」と、子供のささやかな欲求として矮小化されてしまう。この少年と同じく、父親に十分に構われなかった過去を持つエミは「私の黒歴史のよう」とこれを評してしまうのである。実際、「改心」した父親と少年の和解をもって本作は幕を閉じるため、エミの洞察はここでは間違っていない。が、舞台に霞が関を選んでいることで多少なりとも(今何かと話題の)「政治性」を帯びることは避けられないことを鑑みれば、この脚本では日和りすぎている。あえて強く言えば為政者側に媚びすぎている。社会告発を行うべく、霞が関へ向かう人間達を馬鹿にしているように、彼等が自らの注目を集めるために行動していると思っているかのように見えてならない。少年の欲求は父親の愛で解消されたとしても、これでは社会(や汚い大人)への怒り、霞が関へ向けるべき怒りまでもが陳腐なものであるかのようではないか。実は少年側に制作側としては寄り添っていて、批判を恐れて「まぁまぁ少年の言っていることなんで」という隠れ蓑を用意したのだろう…と擁護することもできる。だが、上の少年の主張は隠れ蓑を用意するほどのものだろうか?別にノンポリぶっていようが冷笑に被れていようが、容易にこれくらいのことは吐けるだろう。主張としては党派性を全く帯びないほどのお利口なものでしかないのである。これでは何を擁護しようととも思えない。ましてあの本編をやった後で、『-1.0』『ゲ謎』の後でコレはあまりにひどい。コレなら他のウルトラマン映画のように、もっと特撮の見世物に徹すればよかったのでは。霞が関など使わなければよかったし、使ったとしても『東京SOS』のようにハイコンテクストな「政治性」の表現に留めればこっちが良いように好き勝手妄想していただろう。一瞬だけ「おっ?」と思わせるようなワードや霞が関という舞台を用意しておいて、これらを個人の話に矮小化した挙げ句浅い家族愛の話をされても何も感じない。つーか、ゲントの家族の方で深掘れよ。冒頭でちょっとだけゲントの妻子にもなんかありそうな演出しといて、オリキャスの家族の話がメイン(しかも新規性の欠片もない)で、実はゲントの妻に二人目の子供が宿ってましたって、何だそれ。「対話」から逃げんなよ。

ゴンギルガンは強大な力を持っているが複数の怪獣の細胞の集合体という特性上魂を持っておらず、そのため少年と融合した…というのは面白い設定である。言われてみれば、ベリュドラのウルトラマンベリアルのような明らかに意識が残っている者を除けば、合体怪獣の自我はどこにあるのか?というのは見落とされていたかもしれない(天王星でくつろいでいたタイラントにしたって、あれは一人称視点では誰がくつろいでいたのか)。しかしやはり、本作ではこの設定もまずいようにはたらいてしまう。ゲントによって少年を救出されたために再び魂を失ったゴンギルガンは、少年の「(大人なんて)大嫌いだ!」という言葉を意味もなく叫び続けながら国会議事堂を破壊する存在へと成り果てるのである。なんかもう書くことすら冷めてきたし皆まで言わないけど、つまんねぇ。
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