〝多元的無知〟という概念があります。
たとえば残業が常態化している職場。
全員が早く帰りたいと思っているにもかかわらず、「自分以外の他の人はそんなこと思っていないだろう」と思い込み、自分も残業しなければいけないと思い込む。
今であれば、男性の育休が取りづらい職場。
自分は、奥さまのためにも、幼な子とのスキンシップのためにも取りたいと思っているのに、「出世を諦めたな」と周りは思うはず、とか、上司の人事評価にとってはマイナスになるはずだ、という感じで、みんながそう思ってると勝手に思い込み、育休取得に踏み切れない。
女性にとっては、レイプやセクシャルハラスメントを巡る事後の対応についても同じような状況がいまだに強く残っている。
正当な告発自体を躊躇う事例はあとを絶たない。或いは告発してもなお、〝女性にも責任がある〟的な攻撃を受ける覚悟をしなければならない。
仮に、性的な被害を受けた女性が目の前にいた時、そして彼女が告発を躊躇っていた時。
もうそんな思い込みで躊躇う必要はない。
社会(みんな)の意識は明らかに変わったよ。
少なくとも私は、そんなことをなんの疑いもなく言えない。
言えるとしても、せいぜい『世の中の意識を変えるためにも、勇気と覚悟を持って告発して欲しい』というくらいのことだと思う。
覚悟をしなければならないのは、ほとんどの場合、女性の側なのではないでしょうか。
映画的にはワイスピの多彩かつ派手なアクションとは異なる〝深み〟を纏うという意味で、最高のカーダイブ。
製作から30年以上経った今日的な観点からは、ジェンダー平等の実態に対しての強烈な叱咤激励だと思います。