花火

かづゑ的の花火のネタバレレビュー・内容・結末

かづゑ的(2023年製作の映画)
4.9

このレビューはネタバレを含みます

海沿いの道を電動カートがフレーム外から入ってくる開巻最初のロングショット。似た構図で再度遠出をするときのショットのあとに本作主人公――なんならもう一人の演出家と呼んでもいいかもしれない――かづゑさんが、視力の弱っている中で遠出をする際なにを頼りにして移動しているのかと監督に訊ねられ返す言葉「白線や周りの景色を頼りにしている」と。ずっとここで生きていた、カートで移動する姿を捉えたカットがロングショットなのは、つまりこの言葉を反映しているわけだ。冒頭に戻り、指がなくとも手で品物を確かめ一人で買い物をするかづゑさん。その顔は目深に被られた帽子とサングラスで表情は見えない。なぜ外出時にこのような物々しい格好をしているのかここでは明かされないが、映画の中盤辺りで「瞳孔が開きっぱなしなため、これが欠かせない」と彼女自身の言葉で語られる。ナレーションが使われながらも、このようにまず映像として見せて後から分かってくるという形がよく取られており、説明くささから遠ざかることに成功している。
「本当のらい患者の姿を残したい」(※かづゑさん本人が現在一般的なハンセン病という呼称を拒む)という強い意思のもと、裸も撮っていいからねと撮影クルーに伝える彼女の覚悟に応えるように、入浴のためくつ下→義足→包帯と一つずつ剥がしていく光景をクローズアップで逃げずに撮り切っている(更衣室から浴室へも諸々外した自分の足で入っていくのだから驚きだ)。何を撮るかについてはしっかり考えられており、自身が編んだセーターを見せるとき、カメラはそれを説明するかづゑさんではなくそのセーターを写している。だからこそそのあと「何かをするのって楽しいでしょ」「(夫のことを思って編んだのかと撮影スタッフに訊かれて)編むのが楽しいからそんなこと考えてない」と返すくだりが最高なのだ。あと、コンロの前でスープを作るかづゑさんを撮る際、左斜め後方にいるカメラが出汁を注ぎ足すとき容器が傾けられるのと同期するようにカメラも傾くのがなんか良い。
かづゑさんが出版した本を監督が朗読する、読み上げる監督とそれを見るかづゑさんが同じフレームの中に収まる。聞き終えてテーブルに突っ伏せたかづゑさんが顔を上げ「(学校でのいじめや自殺を考えても毎年面会に来てくれる母を思うと実行できない、海に囲まれて出られない環境など)あの時の暗さがあったから現在があるんだよね」と話すシーンの痛切さ。
かづゑさんが出生地に戻り母の眠る墓を訪ねる場面で、墓石を抱きしめて一向に離れようとしない彼女を捉え続ける時間の持続。この「抱きしめる」という行動が、後に長年連れ添った夫が亡くなり納骨堂を訪れ遺骨の入る骨壺へと反復されるのが胸の痛む瞬間だ。
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