パングロス

落第はしたけれどのパングロスのレビュー・感想・評価

落第はしたけれど(1930年製作の映画)
3.5
◎面白うてやがて哀しきバッドジーニアス

1930年 65分 モノクロ 松竹蒲田 サイレント
スタンダード 弁士:坂本頼光 伴奏:神﨑えり

弁士の坂本頼光さんによる実演には初めて接した。
だが、ちょうど直近『クラユカバ』の声優として、その名調子に触れ、現代に、それも44歳でありながら、これだけ時代の雰囲気を醸し出せるのは凄いな、と感心していたので、今日実演に触れることができて、本当に良かった。


【以下ネタバレ注意⚠️】






最初に、坂本さんの前説が3分程度あった。
ご本人も、落語芸術協会に所属しているとのことで、落語調の語りが笑いを呼ぶ。

本作が笠智衆(1904-93)の本格的出演デビューであること(モブとしては小津の第2作目、1928年の『若人の夢』から出演)、NHKの『お達者クラブ』(1980-88)の前身番組『お達者ですか』(1976-80)だったかな?の最初のゲストが笠智衆さんで、本作のことも話していたなどのエピソードも開陳。

映画本編も、坂本さんの吹く呼び笛とともに始まり、それも最初は閉まっていた幕が左右に開く形で開幕。
このため、プロダクションないし配給会社のロゴはよく見えなかったが、雰囲気満点だった。

本作、基本は学生ものコメディで、高橋(斎藤達雄)を筆頭とする悪童5人組は、最初からコミカルな歩き方で登場したりする。

彼らは、大学の試験をまともに勉強して切り抜ける気など、さらさらない。
前の席に座った学生のワイシャツにみっしり回答集を筆記するのが、彼らの奥の手だ。

ところが、前の晩、苦心惨憺して書き上げたカンニング用ワイシャツを下宿のおばさん(二葉かほる)にクリーニング(*)に出されてしまう。
おかげで、悪童5人組は、ものの見事に落第、留年することになった。
* Wikipediaは「洗濯屋」としているが、彼が運転する自転車の荷台に「クリーニング」と明記されていたのでクリーニング屋が正しい。

それに対して高橋と同宿のルームメイトは、服部(笠智衆)ら真面目4人組で、揃って及第、卒業を勝ち取った。

そのなかで、前の晩まで、勉強してもなかなか飲み込めなかった回答の出し方を、高橋からシャツの記述を見せられることでビリケツながら無事及第した杉本(月田一郎*)が、「僕に勉強を教えてくれた高橋君が落第するのは可笑しい。よく調べ直してください」と、しつこく学務課に食い下がる。
*『淑女と髭』の男爵御曹司行本輝雄と同じ役者のはずだが、どうしても同一人物とは思えなかった。

今ならBLかブロマンスかといった風味になりそうなところだが、もちろん、この時代、そんな展開にはならない。

この、いよいよ落第が決まったあとから、学生群像劇からスポットは斎藤達雄ひとりに当てられ、彼の孤独と先行きに対する不安がクローズアップされる。

伴奏の神﨑(こうざき)さんも、ヘンデルの歌劇『リナルド』の有名なアリア「私を泣かせてください」をベースに演奏され、エモさが倍加して、正直泣きそうになった。

すっかり落ち込んでいた高橋は、想いを寄せていたカフェの女給小夜子*(田中絹代)から約束していたネクタイをプレゼントされても、「僕には、もらう資格がない。背広だって着る資格がないんだ」と落第したことを初めて告げる。
*坂本さんは「小夜子」ではなく「お絹さん」と呼んでいた。笠智衆のことも「服部君」ではなく「笠君」と言っていた。役名の正確さよりも分かりやすさを優先させたからだと思われる。それにしても田中絹代(1909-77)、ちょうど20歳か。田中絹代の作品も数多く観てきたつもりだが、本作の面差しは全然違っていて、当人だとついに認識できなかった。

うなだれる高橋に対して、小夜子は涙を浮かべながら「私は全部知っていたんです。落第したからって背広を着たらいいじゃないですか」と言われ、小夜子の高橋に対する愛の深さと、自分がいたずらに悩んでいたことの愚かさに気づく高橋。

ストーリーのピークは、明らかに、この高橋と小夜子のシーンだが、このあと元のコメディにしっかり戻る。

卒業した4人組は、いずれも「大学は出たけれど」の伝で就職が決まらず、せっかく仕立てた三つ揃いも質に入れたりの貧窮の日々をかこっていた。

対する高橋ら落第5人組は、すっかり心機一転。
卒業生でもチケットが入手できないという人気の早慶戦の前評判。
高橋は、学生服の下に、モダンなTシャツを着込んで、応援団長として、早稲田のキャンパスで応援練習に余念がないのであった。

以上、一巻の終わり。

本作、とにかく男しか画面に登場しない。
女性キャストは、下宿のおばさんの二葉と小夜子の田中の二人だけだと言っていい。

検索してみると、戦後、日本初の女性代議士の一人となった園田天光光(1919-2015)は、1942年に早稲田の法学部を卒業しているので、戦前の早稲田が女性に門戸を開いていなかったということはないのだろうが、事実としては、女子学生は例外的な存在だったのだろうか。

本作、まだ対米開戦はしていないので、上述のクリーニングのほか、字幕にピックニックの語も表示される。

なお、落第して、鬱だ死のう状態の斎藤達雄が「シベリア」をパクパク食ってるなぁと思って観ていたら、早速坂本さんがネタとして拾っておられた。さすが分かってらっしゃる。

それにしても、シベリアはまだ良いとして、角砂糖を生でパクパク食うのだけはやめた方がいい。
斎藤達雄の糖尿病を心配してしまった。

《参考》
*1 「落第はしたけれど」で検索
ja.m.wikipedia.org/wiki/

*2 【作品データベース】落第はしたけれど
www.shochiku.co.jp/cinema/database/01135/

*3 上映館=神保町シアター公式
www.shogakukan.co.jp/jinbocho-theater/program/silent2024.html
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