takeman75

またヴィンセントは襲われるのtakeman75のネタバレレビュー・内容・結末

3.0

このレビューはネタバレを含みます

ある日突然、一瞬目が合っただけで見知らぬ人々から理不尽な暴力を振るわれる羽目に陥る中年男の災厄を描いた、不気味な現代の「醒めない悪夢」とでも呼ぶべき一作。

SNSの依存や社会情勢の不安などで心の中で常に「憤怒」を抱えた状態で生き続ける市民が、ほんの僅かな「きっかけ」だけでたちまち正気を失い突発的な暴力へと走る姿が、不条理極まりないながらも、どこかリアルで怖い。往年のジョージ・A・ロメロやジョン・カーペンター、もしくはシャマランの手掛けたホラー映画を思わせる、ダークなユーモアと紙一重の恐怖に満ちたワンアイデアの面白さで引き付ける前半は、かなり魅力的だ。

ただ主人公がやがて幾人かの「理解者」と出会い、この不条理な事態が彼だけでなく「全世界」にも拡がっていることが分かる後半は「ああ…今回もそのネタに行くのね」といった印象の、平凡な「終末アポカリプス」モノの類に収まっていき、序盤30分の「一体これは何なんだ!?」という不安感が急速に薄まっていってしまうのは、残念。恐らく長編映画として成立させるための不本意な「水増し」をする必要に迫られたのでは?と推測されるが、それらを削ぎ落としてあと30分短くしたら、よりソリッドな切れ味に満ちた秀作になったのは間違いない。

ちなみに主人公が取り付かれる「全世界が自分を狙っているのでは?」という被害妄想に満ちた恐怖心理は、アリ・アスター監督の怪作『ボーはおそれている』の前半ともかなり良く似た展開で、製作の時期的に双方が影響を受けたということは考えられないものの、同時代に作られた映画の不可思議な「縁」を感じたりした。既にハリウッドでのリメイクも予定されているとのことだが、本作で描かれた現代人にとっての普遍的とも言えるこの「不安の種」は、どんな形で新たに再構築されていくのだろうか。
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