kuro

またヴィンセントは襲われるのkuroのネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

ヒューマントラストシネマ有楽町 24/5/11

あらすじ

フランスでデザイナーとして働くヴィンセントは、ある日研修生に突然ノートPCで顔を殴打された。数日後、今度は別の同僚にペンで腕を滅多刺しにされる。加害者本人たちは事件時の記憶がないという。在宅での仕事を余儀なくされたヴィンセントだが、外出の度になぜか襲われてしまう。そのうちに、彼は「目が合うと襲撃されてしまう」という法則に気づき、田舎にある父親の別荘へ避難する。避難の道中、"教授だった"と名乗る物乞いのような人物に出会い、「同類であり、同類同士は目を合わせても攻撃し合わない」ことや「犬を飼うこと」などの助言を得る。教授によると、同類同士のSNSがあるらしい。ヴィンセントは別荘に着くと、教授の助言通りSNSに参加し、犬を飼うようになった。ラジオやネットから、不穏なニュースが流れている。フランス国内では、無差別な暴力行為が多発しはじめており……。

感想

目が合うと人が襲ってくるようになる、というアイデアが気になって鑑賞。襲ってくるとみせかけて、全然違う方向から襲撃されたり、わざと襲撃を仕掛けて失敗か…と思いきや、スーパーから何十人も引き連れてくる場面などは、怖くて面白かった。ヴィンセントも、ダイナーの彼女も微妙にクズ(同僚の元カノとはゴタゴタして別れた、SNSでケガの自撮りをアップ、複数の女の子と連絡を取り合う、研修生に「俺のコーヒーは?」とジョークめいた威圧、同僚に対して「"ただの"経理だろ」発言など。ダイナーの彼女は男に借金があるし、サボってタバコ吸うし、サボった上に飲酒するし、勘違いしないで、という割に誘うし、手錠も外したりつけたりするからヴィンセント殺しそうになるし)で、しかも嫌な感じのクズさで、しかもグロテスク表現がしっかりグロい(ハンマーでガンガン殴る、嘔吐が超リアル、汚物まみれ、パックリ開いた傷口を自分で縫うなど)ので、観ていてずっと不快な気分に。あと子供が母親をガンガン蹴りまくっていたのも怖かった。子供が大人に襲いかかるのは、どうしてか怖い。反抗できないからかもしれない。凌辱がないことと、犬のスルタンがめちゃくちゃ賢くていい子で、ツヤツヤしていて愛されていて、幸せそうだったことが救いだった。

人間はみんなゴミで殺し合い、犬だけが正義、という映画なのかと思ったが、さすがにそんなことはないし、色々考えることもあった。

「目が合うと襲撃される状態」は「治る」という法則は、コロナウイルスを、また、集団で襲撃する様子はSNSの炎上を想起させた。加害者と被害者は時に入れ替わる。

最終的にどうなるのかと思いきや、ダイナーの彼女とヴィンセントはお互いに目を合わせないよう、目隠しを駆使しながら2人の共存を選んだ。

人間は1人では生きられないということなのか。そこがフランスらしいというか…人間が好きなんだなぁという感じ。日本人がこのテーマで描いたら、その結末にはならなそうだな、と思った。人間は1人で生きなければならなくなるのが未来だ、という思いが自分の中にあると気付かされた。目が合うと殴られるってかなりヤバい状況、社会の存続危機なはずなのに、目隠しって…。しかも2人は結構ポジティブな印象でエンドロールに突入する。最後がちょっとあっけに取られてしまった。

監督とは合わなそうだからといって、面白くなかったわけではない。面白かった。スピード感がもう少し欲しかった。主人公が不条理に散々な目にあうという点では『ボウはおそれている』のスピード感に及ばない。怖さの質もボウの怖さの質の方が、自分は怖い。いきなり他人が切り付けてくる場合は、完全に自分が被害者と主張できるが、密室で子供が目の前でいきなりペンキを飲んで自殺されたら、自分は何もしていないし、むしろ自殺を見せつけられて怖い思いまでしたのに、加害者と認定されるかもしれない、という方がよほど恐ろしい。

それとフランス映画がどうも肌に合わない…。のかもしれない。倫理より愛至上主義というか…。なので3.5点です。あとパンフレットがめちゃくちゃ内容少ないのに800円だった。FNAFの充実度が異常だったのかもしれない。映画の評価とは関係ないけど、悲しかった。

気になったこと。
・サングラスかければ? ド近眼なら免れるのでは? どこにもメガネの登場人物が見当たらないし、サングラスも誰もつけてないので、フランス人は目がいいのかもしれない。道挟んで向こうの住居のベランダの人と目が合うなんて、ド近眼の自分には信じられない。
・「教授」はなぜ治ったのか? 治るということは、やはり流行り病なのか? なぜ妻に拒絶されたのか? なぜ教授が教えてくれたシェルターにヴィンセントは行かなかったのか?

→妻に拒絶された、というのはどういうことなのか。ヴィンセントが治ったときの描写を思い出すと、彼はダイナーの彼女を殺そうとしてしまう。教授もこの状態になったのかも? 教授の妻は襲って殺されかけたから「拒絶」したのに、襲った方は襲ったことを覚えていないので、教授はただ「拒絶」された、と勘違いしたのかもしれない、と推測した。

→シェルターに向かわなかった理由は? 同類が集まるSNSで登録者の死亡通知が続々と。どうやって死亡者が通知される仕組みなんだろう。ともかく、襲われる体質が治ると、加害者に転じる可能性があり、その限りではシェルターにいても意味がない、むしろ狭いシェルター内で襲撃はたやすくなる、というヴィンセントの判断なのか。もしくは、ダイナーの彼女と一緒にいたかっただけなのかもしれない。

あと、終盤で襲撃されるものと襲撃するものの対立による混乱から離れて、草原を2人が歩くシーンは青山監督の『エリエリレマサバクタニ』を想起。あちらは自殺するウイルスレミング病が蔓延る世界だった。また、黒沢清監の最新作『クラウド』も集団狂気を描いた作品だというから、こちらも同じようなテーマとして楽しみにしている。

スルタン、とにかく犬かわいい。
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