耶馬英彦

またヴィンセントは襲われるの耶馬英彦のレビュー・感想・評価

4.0
 邦題に違和感がある。Vincentは英語やドイツ語ではヴィンセントだが、フランス語ではヴァンサンである。ヴァンサン・カッセルという有名俳優はフランス人で、誰もヴィンセント・カッセルとは言わない。本作品の主人公もフランス人で、劇中でもみんなヴァンサンと呼んでいる。どうして邦題だけ、ヴィンセントとしたのか、意味がわからない。

 邦題の件はともかく、作品としては実にスリリングで面白かった。世界的なパンデミックが、どこかの街の小さな出来事からはじまるのと同じように、ヴァンサンの身の回りに不可思議なことが起きる。
 たしかに、最初はヴァンサンにも問題があるように思えた。タバコを吸うし、太っていて清潔そうに見えないし、いい人にも見えない。意地悪な発言もあり、嫌われても仕方がない気もする。しかし、だからといって殴られるほどではない。何が起きているのか。

 ヴァンサンの受難が続く中で、さり気なく流れるニュースが、ことの本質をそれとなく知らしめる。しかしヴァンサンは自分に起きることへの対処で精一杯だ。どうして理由もなく襲われなければならないのか。
 理由もなく攻撃されるというフレーズで、すぐに連想されるのは、インターネット上での個人攻撃だ。見ず知らずの人間が、ソーシャルメディアで見かけた人間を貶めたり、罵詈讒謗を浴びせたりする。世間から忘れられると叩かれなくなり、今度は自分が叩く側に回ったりする。知り合った老人の言葉は象徴的だ。叩く側に回るくらいなら、死を選ぶという意味だろう。

 世の中は憎悪に満ちている。憎悪の持ち主は、ちっぽけなプライドを持ち、それが傷つけられることを極端に恐れ、そして不寛容な人々だ。悪貨は良貨を駆逐するという言葉の通り、憎悪と不寛容は、優しさと寛容を駆逐する。
 いつか憎悪のパンデミックは世界を席巻するだろう。現実にそうなりつつある。その極端な事例が、21世紀型の戦争だ。プーチン戦争、イスラエル戦争は、経済的な問題よりも憎悪が主な理由である。ヴァンサンに起きたことは、誰の身の上にも起きうることなのだ。
 金融資本主義という名の強欲資本主義の行き着いたところが、世界的な憎悪の蔓延だとすれば、笑うしかないほど絶望的だ。資本主義の権化のような人物を一万円札の肖像にしている場合ではない。
耶馬英彦

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